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MLBロサンゼルス・ドジャース!球団史に刻まれる最上最高な一瞬&ワンシーン

MLB

こんにちは!

ちょっかんライフです。

日常のなかで、直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げるページーー。

Embed from Getty Images 1962年
ロサンゼルス移転後、開幕戦で56000人の観客を集めたドジャーススタジアム。

メジャーリーグベースボール(MLB)有数の名門であり、140年以上の歴史を持つドジャースのような球団には、その人気・実力に見合うだけの記録的エピソードが満載。

ブルックリンで創設、西海岸へ本拠地を移した後も球界屈指の人気を集め数々の記憶に残るシーンを生み出してきましたが、

2020年代半ばとなった今、

球団の歩みを飛び越え、一気に塗り替えるような前代未聞の瞬間を目にする機会も増しています。

ということで、この王朝期を迎えつつある伝統のチーム史を紐解く中で、

エポックメーキングともいうべき最も輝かしい一瞬&ワンシーンを厳選して紹介していきます。

それではどうぞ!

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ドジャース色褪せない歴史的ワンシーン7選

ロサンゼルス・ドジャースは2024年に続き今年もワールドシリーズを制し、球団史上初&MLBで21世紀初となる2連覇を成し遂げました。

2025年はそれだけにとどまらず、

  • 日本人スター選手の躍動
  • 観客入場者401万2470人と、動員数400万人突破で球団史上最多更新
  • 東京ドームでの開幕戦にみられた国際的ブランド力の拡大

さらにはポストシーズンでの視聴率・チケット収入が過去最高水準に達し、経済的インパクトをもたらしたことで、いまやチームの全盛期に突入したと言えます。

では、球団史をさかのぼると他にどのような歴史的シーンに出会えるのでしょう。

  • ジャッキー・ロビンソン
  • 1919年1月31日~1972年10月24日(53歳没)
  • アメリカ合衆国ジョージア州出身

ドジャースは、アフリカ系アメリカ人であったジャッキー・ロビンソンがメジャー入りを果たした球団としてだけでなく、

多様な背景を持つ選手たちにメジャーリーグ挑戦への道を切り開いたことでも知られます。

1945年、ロビンソンはブルックリン・ドジャース会長ブランチ・リッキー氏に誘われ、球団傘下のマイナーチームへ入団。

ブランチ・リッキー

1881年12月20日-1965年12月9日(83歳没)
大卒後、弁護士業に数年就いた後、大学コーチ、監督を経て球団フロントオフィス入り
マイナー組織改革(ファームシステムの確立)や科学的トレーニングの導入など革新的なメジャーリーグ運営を行った。

その後MLBオーナー会議の場で、ドジャースを除く全15球団が同選手のメジャーでのプレーに反対する中、1947年4月15日本拠地エベッツ・フィールドで開幕戦デビュー。

その日集まった26623人の観客のうち、半数以上の14000人は彼を見ようとする人種的マイノリティでした。

それから8年後、観客動員数63869人を集めた1955年ワールドシリーズ第1戦、

ロビンソンは相手捕手の隙を突き、果敢にホームスチール本盗を敢行、スタジアム中をあっと言わせます。

Embed from Getty Images 1955年
ロビンソンがWSのスポットライトが当たる場面で、ホームスチールを決めた決定的瞬間。

本塁への盗塁は当時でも滅多にみられず、しかもワールドシリーズという大舞台での成功は異例。

その勇気あるプレーは、ドジャース球団創設以来初となる優勝を引き寄せるとともに、

恐れない姿勢と闘志を示す象徴的な瞬間として語り継がれることになったのです。

のちにMLBは、彼が成し遂げた数々の功績を称え、背番号「42」を全球団共通の永久欠番とし、ジャッキーの初出場日である4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」に制定しました。

  • サンディ・コーファックス
  • 1935年12月30日生まれ(現在89歳)
  • アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身
Embed from Getty Images 1965年
オフには2度目のサイヤング賞を受賞し、MVP投票でも2位に入った。

当時制球難を抱えていたコーファックスは、地元ブルックリンから離れたロサンゼルスに新球場ドジャー・スタジアムを開場した1962年に一気に開花。

1963年に、自身2度目のノーヒットノーランを達成。

ワールドシリーズではヤンキース相手に2勝を挙げると同時に、シリーズ通算防御率0.95という驚異的数字は大舞台での彼の強さを物語っています。

1965年には、カブス戦で14三振を奪いドジャース史上唯一の完全試合を達成。最後の6打者を連続三振で締めくくる圧巻の投球は ”左腕の神(The Left Arm of God)” と呼ばれるまでに。

そして忘れてはならないのが同年、ツインズとのワールドシリーズ第7戦、

第2、第5戦に続く3試合目の先発で、これは中3日という強硬登板。

にもかかわらず、終盤になっても球威が衰えることなく9回を投げ切り、被安打3・四球ゼロ・10奪三振の完封勝利

チームの命運を背負った投球一つひとつが、もはや伝説となった瞬間でした。

ちなみに2025年のワールドシリーズ終了後、MLB.comやDodgers Nationは、

89歳となったコーファックス氏が同シリーズ第3戦を現地で18回延長戦まで見届け、4回無失点を投げ抜いたウィル・クラインにメッセージを送ったとして、

今なお、選手たちの精神的支柱としての存在感を示したと報じました。

  • カーク・ギブソン
  • 1957年5月28日生まれ(現在68歳)
  • アメリカ合衆国ミシガン州出身

1988年ワールドシリーズ第1戦でのカーク・ギブソン代打による逆転サヨナラ2ランは、ドジャース史上、いや、MLB史上においても最も劇的なワンシーン。

両足に負傷を抱えながらも、当時の絶対的守護神アスレチックスのデニス・エカーズリーを攻略し試合を決めると、これで勢いに乗ったチームは下馬評を覆してシリーズ制覇。

歩くのも困難な状態で足を引きずりながらダイヤモンドを一周する姿に、実況席のヴィン・スカリー(後述)は、

あり得ないことばかりの一年で、ついに不可能が現実となった瞬間だ!“In a year that has been so improbable, the impossible has happened!”

と、伝説のワンシーンを表現。

この年、シーズン前のドジャースはスター選手が少なく戦力的に不利、ケガ人続出、打線は圧倒的劣勢で優勝は“あり得ない”と見られていました。

それだけに「不可能が現実になった瞬間」として名実況に刻まれたわけです。

ギブソンがこのシリーズに出場したのはこの1試合、1打席きりでしたがインパクトは絶大、後世に語り継がれる一打となりました。

Embed from Getty Images 1988年
WS第1戦9回裏に決勝打となるソロホームランを放ちチームメイトに迎えられるギブソン。
  • フレディ・フリーマン
  • 1989年9月12日生まれ(現在36歳)
  • アメリカ合衆国カリフォルニア州出身(国籍はカナダとの二重国籍)

ギブソンのヒロイックな活躍から36年が経過した2024年のワールドシリーズ第1戦、

足の不調を抱えた一人のスタープレーヤーが特大ホームランを放ちました。

右足首の捻挫を押し強行出場したフレディ・フリーマンは、延長10回にシリーズ史上初となる逆転サヨナラ満塁本塁打でチームの勝利に貢献。

Embed from Getty Images 2024年
10回裏に究極の一発を放ったフリーマン。

実況のジョー・デイビスは、前述のヴィン・スカリーを意識するかのように、

「She is gone!」という伝説的フレーズをそのまま引用。さらに「Gibby, meet Freddie!」と続け、ギブソンとフリーマンを歴史的に結びつけました。

入ったぁ!ギビー(ギブソン)、フレディを紹介するよ!“She is gone! Gibby, meet Freddie!”

ジョー・デイビス

1987年12月6日(37歳)
アメリカのテレビスポーツキャスター。

様々なチームやネットワークでプロスポーツや大学スポーツの実況を経験。2022年からはワールドシリーズ、MLBオールスターゲームの実況を担当。また、スポーツネットLAではヴィン・スカリー(後述)の後任としてオーレル・ハーシュハイザーと共に実況解説を務める。

Embed from Getty Images 2024年
WSの実況ブース内にて、解説のジョン・スモルツとジョー・デイビス(中央)。

デイビス本人は後に、「観客の歓声をもう少し余韻をもって聞かせればよかった」と反省していたと報じられましたが、ファンやメディアは完璧なオマージュとして高く評価。

この言葉の演出を以って、ドジャースの ”1988年の劇的瞬間” と ”2024年の新たな劇的瞬間” が美しく重ね合わされたのです。

  • 大谷 翔平
  • 1994年7月5日生まれ(現在31歳)
  • 日本 岩手県出身

大谷翔平の2025年リーグチャンピオンシップシリーズ(NLCS;リーグ優勝決定戦)第4戦は、ドジャース史における歴史的シーンの連続でした。

11月12日(日本時間13日)、MLBによるシーズンを象徴する劇的1試合を讃える特別賞、「年間 レジェンダリー・モーメント賞 Legendary Moment of the Year 2025」を受賞したことからも明らか。

MLB史上同一ゲームで初めて、先発投手として6回を投げ被安打2、無失点、10奪三振、打者としては3打席連続本塁打(うち1本はスタジアムのルーフ越え!)を達成。

まさに二刀流の究極形、投打両方で試合を支配したこの唯一無二の存在(あるいはユニコーン、もしくはGOAT)は、ポストシーズン史にもその名を深く刻むことに。

この勝利でドジャースはブルワーズをスイープし、2年連続のワールドシリーズ進出へ。

比類なき圧倒的パフォーマンスによって、大谷はたった1試合にしてNLCS MVPを手にしました。

これらは単なる記録ではなく、野球というスポーツの未来を象徴する文化的瞬間として評価されています。

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この試合は、野球界にとどまらずスポーツ史における二刀流の頂点。
  • クレイトン・カーショウ
  • 1988年3月19日生まれ(現在37歳)
  • アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身

2014年のクレイトン・カーショウは、21勝3敗、防御率1.77、奪三振239という抜きん出たシーズンを送り、

3度目のサイ・ヤング賞受賞、ノーヒットノーラン達成に加え、投手としては極めて稀なナ・リーグMVPを獲得。

これらの功績は彼の最高シーズンとして記録されるものですが、 引退年となった今年、

MLB史上20人目、左腕投手では4人目となる「3000奪三振クラブ」入りを果たしたことは、より一層その輝かしいキャリアを際立たせます。

Embed from Getty Images 2025年
ホワイトソックス戦の6回に通算3000奪三振を達成。

2025年7月、通算3000に及ぶ奪三振達成の瞬間、ドジャースタジアムを埋め尽くす53000人超の観客は誰もが総立ちとなり熱狂、

18年間見守ってきた長年のエースがベースボールキャップを取って応える姿は、伝説の継承として永遠に記憶されるワンシーンとなりました。

”短期間でポストシーズンを支配し、球団の伝説を築いた” コーファックスと、”長い時間をかけレギュラーシーズンを支配し、投手の価値を再定義した” カーショウ

おそらくドジャースの球団史には両者ともが必要で、一方は王朝の瞬間を作り、もう一方は王朝を維持する力を築き上げたと言えそうです。

  • ヴィン・スカリー
  • 1927年11月29日~2022年8月2日 (94歳没)
  • アメリカ合衆国ニューヨーク市ブロンクス出身

ドジャースにおける数多の名場面に共通する人物といえば、フィールド上で繰り広げられるさまざまなプレーをマイクを通して伝え続けたヴィン・スカリー

この球団専属アナウンサーは、月並みな言い回しや感情移入し過ぎの絶叫に頼らず、大きな場面では現地の歓声や熱気をそのまま共有、あえて沈黙に徹する中継スタイルが特徴的なカリスマ。

独特の語り口とコメント、詩的な表現力から、

  • 20世紀で最も偉大なスポーツ・アナウンサー
    The Greatest Sports Announcer of the 20th Century
  • ドジャースの物語を紡ぐ語り手として「ドジャースの声
    The Voice of the Dodgers
  • しまいには、MLB全体を代表する普遍的存在の意味合いで「ベースボールの声
    The Voice of Baseball

などとも称されます。

そして、彼の放送で締めくくる定番フレーズが「皆さん、良い午後をーー“I wish you all a very pleasant good afternoon.”ーー」というもの。

2016年、67年間のアナウンサー生活に別れを告げた実況で、長年のリスナーに向けた最後のメッセージでもまた、

最後にもう一度、どうか皆さん、穏やかで心地よい午後を。“And for the last time, I wish you all a very pleasant good afternoon.”

ーーいつもと変わらぬ丁寧で落ち着いた響き、温かく粋で優しい幕引きの一瞬でした。 

Embed from Getty Images 2017年
ドジャース名誉のリング式典で掲示されたスカリーのマイクの銘板(後ろはコーファックスとラソーダ元監督)。

引退の翌年、スカリーはドジャースの「名誉の輪(Ring of Honor)」に加わることに。

それは、ドジャースタジアムの外野フェンス上部(レフト側ライン付近)に恒久的に名前が掲げられる栄誉で、球団の歴史と文化を永遠に刻む象徴。

この掲示によりドジャースを形作った一人として、今もその功績を後世のファンに伝え続けています。

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