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ちょっかんライフです。
日常のなかで、直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げるページーー。
見事挽回!!ポストシーズン逆転勝利
MLB史上、7戦4先勝制のプレーオフシリーズでは最初の2試合に勝ったチームが断然有利。
実際の統計をみても、94試合中78試合で勝利をつかんでいます。
ところが残りの16回のうち6試合は、リーグ・チャンピオンシップ・シリーズ(アメリカンリーグ3回、ナショナルリーグ3回)で番狂わせの逆転劇が起こりました。
そこには2025年の7試合で、マリナーズを破り1993年以来のワールドシリーズ進出を決めたブルージェイズも含まれます。
で、残る10回がワールドシリーズ(WS)において最初の2連敗から劇的勝利へとつなげた試合。
今回はそんな劣勢からの反転攻勢で優勝をつかみ取ったWS10ゲームの中から印象深い9事例をピックアップしてお届けします。
さっそく見ていきましょう。
2連敗からワールドシリーズ優勝を遂げたチーム(1990年代)
1996年のニューヨーク・ヤンキース
ニューヨーク・ヤンキース(AL)4勝2敗
アトランタ・ブレーブス(NL)2勝4敗
試合 | 先攻チーム | スコア | 後攻チーム |
---|---|---|---|
第1戦 | ブレーブス | 12-1 | ヤンキース |
第2戦 | ブレーブス | 4-0 | ヤンキース |
第3戦 | ヤンキース | 5-2 | ブレーブス |
第4戦 | ヤンキース | 8-6 | ブレーブス |
第5戦 | ヤンキース | 1-0 | ブレーブス |
第6戦 | ブレーブス | 2-3 | ヤンキース |
近年のMLBワールドシリーズで、形勢不利から巻き返しを図り優勝を掴んだ最後のチームが1996年のヤンキース。
最初の2試合を落とした後、怒涛の反撃で4連勝を決めフォール・クラシック優勝を果たしました。
- 本拠地ドジャースタジアムでの第1戦、シリーズ史上最悪の大敗を喫し、第2戦でも敗れる
- 第3戦以降、ジョン・ウェッテランド投手の4連投で全てセーブを記録(MVP獲得)
- 第4戦は延長10回表、二死満塁から押し出しで2勝2敗タイに持ち込む
- 第5戦、ブレーブスのジョン・スモルツ投手より8イニング10奪三振で打線を封じられるが4回表に1点先制、先発アンディ・ペティットも無失点に抑える
- 第6戦マリアノ・リベラが7回表から2イニングを無失点に封じる
ヤンキースにとっては、長い同シリーズ進出から遠ざかっていた15年間の記録にも終止符が打たれ、18年ぶり23回目の優勝を成し遂げたのです。
2連敗からワールドシリーズ優勝を遂げたチーム(1980年代)
1986年のニューヨーク・メッツ
ニューヨーク・メッツ(NL)4勝3敗
ボストン・レッドソックス(AL)3勝4敗
試合 | 先攻チーム | スコア | 後攻チーム |
---|---|---|---|
第1戦 | レッドソックス | 1-0 | メッツ |
第2戦 | レッドソックス | 9-3 | メッツ |
第3戦 | メッツ | 7-1 | レッドソックス |
第4戦 | メッツ | 6-2 | レッドソックス |
第5戦 | レッドソックス | 2-4 | レッドソックス |
第6戦 | メッツ | 5-6× | メッツ |
第7戦 | メッツ | 5-8 | メッツ |
メッツは80年代のワールドシリーズで、最後に2-0リードの壁を越え劇的勝利を収めたチーム。
- 本拠地で2連敗後の第3戦で4点を先制して初勝利
- 第4戦はゲイリー・カーターの1号2ラン・2号ソロなどでリードを広げる
- 第6戦でファンが上空からパラシュート降下しフィールド乱入するも、最後は相手一塁手のトンネルエラーでサヨナラ勝ち
- 第7戦は7回裏に勝ち越し成功、8回途中から登板のジェシー・オロスコが6打者を完璧に抑え優勝
Embed from Getty Images 1986年
「GO METS」と書かれた横断幕を掲げパラシュートでフィールドに着陸。

そのパラシュート部隊のファンって何者だったかが気になるぅ…
マイケル・セルジオは、ニューヨーク・メッツの熱狂的なファンで、スタントマン、俳優、ミュージシャンでもあった人物です。
スタント決行:
試合の序盤、ヘリコプターから「Go Mets」と書かれた横断幕を掲げながら、ニューヨークのシェイ・スタジアムのグラウンドにパラシュートで降下
観客の反応:
約55000人の観客は、この出来事に熱狂し面白がって大声援を送る
逮捕と裁判:
試合後、セルジオは不法侵入と無謀な危険行為の容疑で逮捕。裁判の結果は罰金500ドル(約76000円/152円レート)と社会奉仕活動100時間
パイロットの機密保持:
セルジオは、飛行機を操縦したパイロットの身元を明かすことを断固拒否したため一時的に収監される
チームとファンからの支援:
メッツの一部の選手は、セルジオのために弁護士を手配。逮捕中、数万通の支援の手紙が彼に送られた
のちに米メディアのスポーツライターらが評価した、このシリーズの格付けランクがこちら。
1981年のロサンゼルス・ドジャース
ロサンゼルス・ドジャース(NL)4勝2敗
ニューヨーク・ヤンキース(AL)2勝4敗
試合 | 先攻チーム | スコア | 後攻チーム |
---|---|---|---|
第1戦 | ドジャース | 3-5 | ヤンキース |
第2戦 | ドジャース | 0-3 | ヤンキース |
第3戦 | ヤンキース | 4-5 | ドジャース |
第4戦 | ヤンキース | 7-8 | ドジャース |
第5戦 | ヤンキース | 1-2 | ドジャース |
第6戦 | ドジャース | 9-2 | ヤンキース |
両チームの対戦は、次項でも紹介するとおり1978年以来3年ぶり。
前回はヤンキースが、敵地ドジャー・スタジアムで序盤2戦に連敗したあと4連勝で逆転優勝。
そして、このシリーズではドジャースが敵地ヤンキー・スタジアムでの最初の2試合に連敗。
その後4連勝で逆転優勝という、前回対戦とは真逆の結末を迎える嘘のような展開となりました。
Embed from Getty Images 1981年
共同MVPの左からペドロ・ゲレーロ、スティーブ・イェーガー、ロン・セイ。
- 第3戦にスタールーキーのフェルナンド・バレンズエラの完投勝利で流れを変える
- 第4戦の8回表に1点差となるも、逃げ切って2勝2敗のタイに
- 第5戦7回裏の連続本塁打で逆転、優勝に王手をかける
- 第6戦では9対2で勝利し16年ぶり球団史上5度目の優勝
2連敗からワールドシリーズ優勝を遂げたチーム(1970年代)
1978年のニューヨーク・ヤンキース
ニューヨーク・ヤンキース(AL)4勝2敗
ロサンゼルス・ドジャース(NL)2勝4敗
試合 | 先攻チーム | スコア | 後攻チーム |
---|---|---|---|
第1戦 | ヤンキース | 5-11 | ドジャース |
第2戦 | ヤンキース | 3-4 | ドジャース |
第3戦 | ドジャース | 1-5 | ヤンキース |
第4戦 | ドジャース | 3-4× | ヤンキース |
第5戦 | ドジャース | 2-12 | ヤンキース |
第6戦 | ヤンキース | 7-2 | ドジャース |
この年のワールドシリーズ両チームの対戦は、2年連続で歴代最多となる10度目。
2年続けてヤンキースの優勝という結果も前回と同じ。
そして、初戦から2連敗のあと第3戦からの4連勝で優勝を決めたのは、このシリーズのヤンキースが史上初となりました。
Embed from Getty Images 1978年
9番打者バッキー・デントが躍動しシリーズMVPを獲得。
- 第3戦では先発ロン・ギドリーが出塁を許しながらも三塁手グレイグ・ネトルズの好守に助けられ1失点のみの完投勝利
- 第4戦は10回逆転勝利を収める
- 第5戦、本拠地ヤンキー・スタジアムで3連勝し連敗スタートから一転して優勝へ王手
- 第6戦では下位打線の活躍が両チームの明暗を分け連覇達成
1971年のピッツバーグ・パイレーツ
ピッツバーグ・パイレーツ(NL)4勝3敗
ボルチモア・オリオールズ(AL)3勝4敗
試合 | 先攻チーム | スコア | 後攻チーム |
---|---|---|---|
第1戦 | パイレーツ | 3-5 | オリオールズ |
第2戦 | パイレーツ | 3-11 | オリオールズ |
第3戦 | オリオールズ | 1-5 | パイレーツ |
第4戦 | オリオールズ | 3-4 | パイレーツ |
第5戦 | オリオールズ | 0-4 | パイレーツ |
第6戦 | パイレーツ | 2-3× | オリオールズ |
第7戦 | パイレーツ | 2-1 | オリオールズ |
同シリーズ初顔合わせとなった両チームの対戦。
第4戦はワールドシリーズ最初のナイター試合となり、NBCによる全米テレビ中継では最終第7戦をも上回るシリーズ最高視聴率をマーク。
これを契機に翌年以降もナイトゲームが増えていくこととなります。
序盤、オリオールズが本拠地として使用していたメモリアル・スタジアムで第1戦、第2戦を連続で落としてしまったパイレーツ。
そこから、息もつかせぬ快進撃が始まりました。
- 第3戦の7回表、ボブ・ロバートソンの1号3ランが勝ちを決定づける
- 第4戦、シリーズ史上初の夜間試合で1点差勝利
- 第5戦では4回表にネルソン・ブライルズが投球の勢い余ってマウンドに倒れこむ場面もありつつ、2安打完封勝利
- 第7戦ではロベルト・クレメンテが第6戦に続き本塁打、スティーブ・ブラス完投で優勝
Embed from Getty Images 1971年
シリーズ全7試合安打、のちに自身の名を冠した賞が創設され功績は永遠となった。
シリーズMVPには、ロベルト・クレメンテが選出。彼は前回1960年シリーズと併せ通算14試合連続安打をマークしており、当時トップ2を誇る記録保持者。
ただクレメンテは翌1972年、地震被災者への救援物資を運ぶチャーター機に同乗した途上で、航空事故に巻き込まれ帰らぬ人にーー。
偉大な記録をさらに伸ばすことはかないませんでした。
2連敗からワールドシリーズ優勝を遂げたチーム(1960年代)
1965年のロサンゼルス・ドジャース
ロサンゼルス・ドジャース(NL)4勝3敗
ミネソタ・ツインズ(AL)3勝4敗
試合 | 先攻チーム | スコア | 後攻チーム |
---|---|---|---|
第1戦 | ドジャース | 2-8 | ツインズ |
第2戦 | ドジャース | 1-5 | ツインズ |
第3戦 | ツインズ | 0-4 | ドジャース |
第4戦 | ツインズ | 2-7 | ドジャース |
第5戦 | ツインズ | 0-7 | ドジャース |
第6戦 | ドジャース | 1-5 | ツインズ |
第7戦 | ドジャース | 2-0 | ツインズ |
初のワールドシリーズに出場したツインズは、開幕から2勝をあげドジャースに先んじます。
しかし、途中に移動日を挟んだ第3戦から第5戦まではドジャースの投手陣が圧倒。
第7戦までの3試合を無得点でシャットアウト、ツインズのリードは瞬く間に失われていきました。
- 第3戦で先発クロード・オスティーンが5安打に抑え完封しシリーズ初勝利
- 第4戦はドン・ドライスデールが7回以降、得点を許さず完投で2勝2敗のタイに
- 第5戦、コーファックスはツインズ打線を4安打10奪三振に抑え完封で3連勝
- 最終7試合目で2年ぶり4回目の優勝を果たす
Embed from Getty Images 1965年
3安打10奪三振で完封後、クラブハウスにてくつろぐコーファックス。
シリーズMVPは、前回優勝時に続きサンディー・コーファックス投手が獲得。
ユダヤ系アメリカ人のコーファックスは、ユダヤ教の祝日 “ヨム・キプール” と日付が重なる第1戦の登板を見送ったため、第2戦、第5戦、第7戦と8日間で3先発登板。
第7戦を完封勝利で決めたあとのインタビューでは、
「100歳になってしまったような気分」
と、MAXレベルの疲労感をそう表現しました。
2連敗からワールドシリーズ優勝を遂げたチーム(1950年代)
直近1990年代からここまでさかのぼってくると、
2連敗からワールドシリーズ優勝を遂げたチーム
のほとんどが、ヤンキースとドジャースであることがわかります。
最後1950年代をたどってみても、改めてこの2チームの実力と底力、強運が目を引く結果に。

伝説上の選手たちもホントに実在したんだな!!
1958年のニューヨーク・ヤンキース
ニューヨーク・ヤンキース(AL)4勝3敗
ミルウォーキー・ブレーブス(NL)3勝4敗
試合 | 先攻チーム | スコア | 後攻チーム |
---|---|---|---|
第1戦 | ヤンキース | 3-4 | ブレーブス |
第2戦 | ヤンキース | 5-13 | ブレーブス |
第3戦 | ブレーブス | 0-4 | ヤンキース |
第4戦 | ブレーブス | 3-0 | ヤンキース |
第5戦 | ブレーブス | 0-7 | ヤンキース |
第6戦 | ヤンキース | 4-3 | ブレーブス |
第7戦 | ヤンキース | 6-2 | ブレーブス |
前年1957年と同カードの対戦となった第55回ワールドシリーズ。
ハンク・アーロン率いるナ・リーグの覇者ブレーブスは、ミッキー・マントルらを擁するア・リーグの強豪ヤンキースと対決。
1年前の同シリーズで王者ヤンキースを打ち破り、翌1958年でも最初の2試合を制し連覇への弾みをつけるところでした。
球場を本拠地ヤンキースタジアムに移し、観客71599人を動員した第3戦では、
結果は4勝3敗でヤンキースが前年の雪辱を果たし、2年ぶり18回目の制覇となりました。
1956年のニューヨーク・ヤンキース
ニューヨーク・ヤンキース(AL)4勝3敗
ブルックリン・ドジャース(NL)3勝4敗
試合 | 先攻チーム | スコア | 後攻チーム |
---|---|---|---|
第1戦 | ヤンキース | 3-6 | ドジャース |
第2戦 | ヤンキース | 8-13 | ドジャース |
第3戦 | ドジャース | 3-5 | ヤンキース |
第4戦 | ドジャース | 2-6 | ヤンキース |
第5戦 | ドジャース | 0-2 | ヤンキース |
第6戦 | ヤンキース | 0-1 | ドジャース |
第7戦 | ヤンキース | 9-0 | ドジャース |
アメリカンリーグがヤンキース、ナショナルリーグがドジャース(当時はニューヨーク)と、前年に続く同カードの「地下鉄シリーズ」対戦。
ブルックリン・ドジャースの本拠地エベッツ・フィールドで開幕し、そこでまず2連敗を喫するも、ヤンキー・スタジアムに移った第3戦、第4戦は連勝し、迎えた第5戦ーー。
ちなみに、クックスが三振に打ち取ったドジャースの最終打者は、現代においてもMLB全球団共通の永久欠番となっている背番号「42」を付けたジャッキー・ロビンソン。
これがアフリカ系アメリカ人として、後に殿堂入りの先駆者となる彼の最後の打席となりました。
こうしてヤンキースは、球団史上初となる2-0からの逆転勝利を飾り、前年王者のブルックリン・ドジャースを破ったのでした。
Embed from Getty Images 1956年
ノーヒットノーラン達成直後、ドン・ラーセンに群がるヤンキースのチームメイトたち。
1955年のロサンゼルス・ドジャース
ブルックリン・ドジャース(NL)4勝3敗
ニューヨーク・ヤンキース(AL)3勝4敗
試合 | 先攻チーム | スコア | 後攻チーム |
---|---|---|---|
第1戦 | ドジャース | 5-6 | ヤンキース |
第2戦 | ドジャース | 2-4 | ヤンキース |
第3戦 | ヤンキース | 3-8 | ドジャース |
第4戦 | ヤンキース | 5-8 | ドジャース |
第5戦 | ヤンキース | 3-5 | ドジャース |
第6戦 | ドジャース | 1-5 | ヤンキース |
第7戦 | ドジャース | 2-0 | ヤンキース |
1941年の初対決から6回目の顔合わせで、それまでの対戦すべてにおいてヤンキースが勝利。
ドジャースはこのワールドシリーズで、2-0の劣勢を覆した初のチームとなり、ロサンゼルス移転前のブルックリン時代唯一のタイトルを獲得することに。
同年から制定されたMVPには、第3戦と第7戦で完封勝利を収めたジョニー・ポドレスが初受賞。
最終戦まで持ち込まれた1955年、ドジャースは10度目(両リーグ優勝チームどうしのシリーズでは8度目)の出場にしてついに悲願のワールドシリーズ制覇を果たしました。
Embed from Getty Images 1955年
優勝の瞬間、マウンドに次々と押し寄せる群衆の波。