PR

MLB公式も称賛!イチロー米野球殿堂入り式典を前に振り返る無二の軌跡

MLB

こんにちは!

ちょっかんライフです。

日常のなかで、直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げるページーー。

Embed from Getty Images

アメリカ野球殿堂入り式典を前に『MLB.com』では、マニー・ランダワ記者をはじめ、マリナーズ担当のダニエル・クレイマー記者らが続々とイチロー・スズキ氏についての記事を寄稿。

四半世紀前、極東からやって来て米球界にパラダイムシフトを起こした彼の軌跡を振り返っています。

今回は、リスペクト溢れるその内容を皆さまとシェアしていきたいと思います。

どうぞ最後までお付き合いください。

スポンサーリンク

イチローの偉大な功績

Embed from Getty Images 2002年
春季トレーニング試合でバリー・ボンズ(右)と。

ホームラン全盛、力強さとパワーが主流だった時代に、他に類を見ない芸術的センス、正確性、そして才能をミックスさせ、米野球界をひっくり返した線の細い選手が登場しました。

そのプレースタイルは過去に例がなく、似たようなタイプは皆無、NPBからMLBに移籍してきたはじめての ”野手” イチロー・スズキ

『MLB.com』のランダワ記者は記事を通じて、

今週末、彼が日本人初の野球殿堂入りを果たす準備を進める中、野球選手としての彼の偉大さだけでなく、彼がいかにして我々の認識を根本から変え、世界中の何百万もの人々に大きな夢を抱かせたか、その深遠な功績に対しても感謝の意が表されるべきだ。As he prepares to become the first Japanese-born player to be inducted into the National Baseball Hall of Fame this weekend, an appreciation is in order not only for his greatness as a baseball player, but also for the profound ways in which this individual transformed our perceptions and inspired millions around the world to dream big.

と最大限の賛辞を贈っています。

さらに、30年以上日本(NHK)とアメリカでスポーツ番組などの制作に携わってきたバイリンガルジャーナリスト、ブラッド・レフトン氏の談話も紹介。

「彼の物事へのアプローチの仕方には、誰にも負けないほど物事を深く考える力があります。そして、誰にも負けないほど万全の準備を整える能力も備えていました。“The way he approaches things, he has an ability to think through things like nobody else. And he could prepare for things like nobody else.”

Embed from Getty Images 2001年
メジャーデビューは27歳のとき。

2000年暮れに渡米し、翌シーズンからマリナーズの一員となったイチロー

のちに数々の傑出した技術で知られるようになりますが、中でも目を見張るのが、優雅に、そして対戦相手の投手にとっては気が狂いそうなほどに落ち着き払ってバットを操りヒットを打ってしまう驚きの能力。

けれどもそれ以上に真の意味でMLB全体を揺るがし、唖然とさせ、彼の才能に対する先入観をすべて消し去ったのはバットではありませんでした。

それは彼の「腕」でした。ーーIt was his arm.

※MLBで「腕 ARM」とは、守備における送球能力(特に肩の強さ)を評価する指標「ARM Ratings」を指します。

イチローのMLBデビュー当時、アスレチックスで捕手を務めていたラモン・ヘルナンデスは言います。「我々は彼についてはよく知らず、スプリングキャンプで知ったくらい。日本で高打率をマークしていて、メッチャ足が速いことは知ってたけどね。“We didn’t know much about him,We only knew him from Spring Training. We knew he was a guy who hit for a high average in Japan, and we knew he was really fast.

でも、あの投球を見たとき…“But when I saw that throw …”

ヘルナンデスが言及したのは、イチローがメジャーに来て8試合目の守備でのワンシーン。ライトへ抜けたヒットを彼が三塁手に向かって放った(今や伝説の!)レーザービームのような送球のこと。

アスレチックス、そして球界全体がすぐに気付くことになりますが、イチローは一般的な右翼手などでは全くありませんでした。

彼の名前「イチ」が示すとおり、まさに「1」の中の「1」…比類なき本物のNO.1だったのです。

ーーMLB独特の言い回しに、 ”鋭い弾丸ライナーで突き刺さるような球の軌道” を「フローズンロープ(凍ったロープ)」と表現することがあります。

このときの送球があまりにも美しかった “The frozen rope was so beautiful” ことから、米国地方紙『シアトル・ポスト・インテリジェンサー(通称シアトルP.I.)』のジョン・ヒッキー記者は、

(そのフローズンロープは)ルーヴル美術館のモナ・リザの隣の壁に額に入れて飾るべき。“framed and hung on the wall at the Louvre next to the Mona Lisa.”

と書いたほどでした。

リリ
リリ

オシャレ過ぎるエピソードだ~~!

こうして2001年、イチローはメジャーリーグ史上、最優秀新人選手賞(ルーキー・オブ・ザ・イヤー)とシーズンMVPを同じ年に受賞した二人目の選手となりました。

Embed from Getty Images 2001年
MLBデビュー年の7月、オールスターゲーム練習中の光景。

その後も彼のカリスマ性は失われることなくフィールド上での驚異的なパフォーマンスは維持され、数々の功績を残していったのです。

イチローの現在そして未来

Embed from Getty Images 2025年
5月末、フリオ・ロドリゲス(右)と試合前のバッティング練習で話し合い。

イチロー氏は現在、マリナーズ球団会長の特別補佐官という肩書を持っています。といってもこれは公式的な意味合いでのポストに過ぎません。

実際の彼は2019年の引退直後からずっと変わらず、メンターとしてチーム内を巡回し選手らをサポートする役割に徹してきたのですから。

51歳になった今も常にユニフォームを身に着け、開幕前のスプリングトレーニングをはじめ、マリナーズのホームゲームのほとんどに参加しては試合前の反復練習に精を出し、時に裏方仕事も献身的にこなす。

ただそこに貫かれているのは、コーチとしての立場というより、現代の選手らが自分たちのやり方でプレーできるよう敬意を持って距離を置いたスタンス。

そんなイチローを間近で見てきたマリナーズ担当のクレイマー記者は明言します。

仮にイチロー流のやり方――妥協を排したディティールへの気配り&完璧さへのあくなき追求――と選手の目指すものが相容れなかったとしても、求められればいつだって彼はこれまで培った才知を惜しみなく提供してくれるのだと。

Embed from Getty Images 2025年
日本人選手として初めて野球殿堂入りを果たした。

イチローは資格1年目にして、球界でも飛びぬけた存在として、そしてマリナーズの歴史上最多タイトルを手にしたプレーヤーの一人として殿堂入りを果たしました。彼の背番号51は、8月初旬 Tモバイル・パークで行われるスペシャルセレモニーをもって永久欠番となります。

ーー現地7月27日(日本時間7月28日)、ニューヨーク州クーパーズタウンでは、全員がマリナーズの象徴でありレジェンドでもある、ケン・グリフィーJr.氏、ランディ・ジョンソン氏、エドガー・マルティネス氏ら豪華メンバーが集結してイチロー・スズキの殿堂仲間入りをお祝いする予定です。

タイトルとURLをコピーしました