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ちょっかんライフです。
日常のなかで、直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げるページーー。
MLB歴代のワールドシリーズ記録
Embed from Getty Images 1903年
WS初代王者はア・リーグのボストン・アメリカンズ(現レッドソックス)。
世界最高峰を誇るメジャーリーグベースボール(MLB)の優勝決定戦、ワールドシリーズ。
10月を彩るFall Classic(フォール クラシック)とも呼ばれる秋の祭典ですが、
アメリカンリーグとナショナルリーグ、2つのリーグ優勝チーム同士による第1回開催が1903年。
2024年はナ・リーグチャンピオンのドジャースが、ア・リーグの覇者ヤンキースを破りシリーズ制覇。MVPに輝いたのはフレディ・フリーマンでした。
そして2025年、
ドジャースは23度目の出場を果たし、9回目の優勝を懸けてブルージェイズと対戦。
一方、ブルージェイズは1993年の2連覇以来となる王者を目指しています。
ワールドシリーズの歴史をさかのぼり、最も注目に値する選手とその記録の数々を見てみましょう。
最高の舞台でトップ記録をマークした選手たち
ヨギ・ベラ(ヤンキース時代)
1925年5月12日生まれ~2015年9月22日(90歳没)
アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身
本名はローレンス・ピーター・ベラ
なぜ登録名が「ヨギ」になったかというと、子供の頃に友人が映画で見たインドの蛇使いに歩き方がそっくりであったことから、サンスクリット語の「ヨーガ(yoga)」から連想して愛称で「ヨギ」と呼ぶようになったのが始まりとされます。
Embed from Getty Images 1962年
ユーモアあふれる言動で親しまれたベラが13度目のWS出場記念ボールを持ち笑顔。
打席:打者がバッターボックスに立った回数すべて
打数:打席の中からフォアボールや犠打などを除いた回数
1949年から59年まで10年連続20本塁打以上、その間100打点以上を5度マークするなど、従来の捕手像を大きく変えた選手。
守備面でも1957年7月28日から1959年5月10日まで148試合連続無失策を記録。
1956年、7度目のワールドシリーズ優勝を決めたドジャース戦では、ヤンキース先発ドン・ラーセンのメジャーリーグ史上初 ”完全試合” もベラの好リードが絶賛されました。
ルー・ゲーリッグ(ヤンキース時代)
1903年6月19日生まれ~1941年6月2日(37歳没)
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身
ゲーリッグは14年間、当時の世界記録2130試合連続出場するも、1939年筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され無念の引退をした、MLB史上最高の一塁手と称されます。
Embed from Getty Images 1939年
この年のWS、体調異変ですでに試合からは退いていたもののキャプテンとして仲間を見守るゲーリッグ。
OPS
打者の出塁能力と長打力を総合的に評価する指標
出塁率+長打率
数値の目安
0.900以上:素晴らしい打者(球界トップレベル)
0.800〜0.899:非常に良い打者(主力選手レベル)
0.700〜0.799:平均的な打者
0.700未満:平均以下の打者
1926年から1938年までに、ワールドシリーズ通算出場が7シリーズ(34試合)。
優勝の証であるチャンピオンリングは6個獲得。
2028年、25歳で迎えたカージナルスとの頂上決戦では、上記記録のほかに11打数で打率.545、4本塁打、9打点の活躍を見せました。
バリー・ボンズ(ジャイアンツ時代)
1964年7月24日生まれ(61歳)
アメリカ合衆国カリフォルニア州リバーサイド出身
そのキャリアを通じて数多の記録を残し、薬物使用疑惑におけるマイナスイメージを及ぼしつつも史上最も偉大な野球選手の一人に数えられるメジャーリーガーです。
Embed from Getty Images 2002年
エンゼルスとのワールドシリーズ第2戦に臨む絶頂期のボンズ。
2002年シーズンは自身初の首位打者を獲得し、ディビジョンシリーズ、リーグチャンピオンシップシリーズでは合わせて4本塁打を放ち、チームのリーグ優勝にも貢献。
自身にとって唯一のWS出場となったエンゼルスとのシリーズでは、打率.471、4本塁打をマークするも、
13のフォアボール、そのうち敬遠7と勝負を避けられ、優勝することは叶いませんでした。
ミッキー・マントル(ヤンキース時代)
1931年10月20日生まれ~1995年8月13日(63歳没)
アメリカ合衆国オクラホマ州出身
1950年代から60年代にかけてヤンキースの主力として活躍し、スイッチヒッターとしては史上最多の通算536本塁打を記録したスタープレーヤーです。
Embed from Getty Images 1953年
当時21歳、3度目の出場となったWSでグランドスラムでの4得点をアピール。
安打:「ヒットしたこと」そのもの
塁打:「ヒットで何塁まで進んだか」を合計した数字
1951年から1964年までに、ワールドシリーズ通算出場が12シリーズ(65試合)。
全シリーズを通じて2本塁打以上を記録したのが6回もあり、うち1シリーズ3本塁打が3回。
19歳で初めて優勝トロフィーを手にしてから、自身30歳のときサンフランシスコ・ジャイアンツとのシリーズまでに7度の世界王座を経験しています。
レジー・ジャクソン(アスレチックス時代/ヤンキース時代)
1946年5月18日生まれ(79歳)
アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身
愛称は、ヤンキース時代チームに15年ぶりのワールドチャンピオンをもたらしたことで付けられた、元祖 ”ミスター・オクトーバー”(Mr. October)。
Embed from Getty Images 1977年
ヤンキースに移ってから最初のWSドジャース戦に臨む、この時31歳。
アスレチックス時代には、WSに2回出場で2度の優勝。
ヤンキースに移籍した1977年、ドジャースとのワールドシリーズ第6戦では全て初球スイングで3打席連続ホームランを放ち、一気に5打点をマーク。
ここで個人記録を打ち立て、翌年の連覇を含めヤンキース時代は計3回のワールドシリーズ進出を決め、2度チャンピオンの座につきました。
ジョージ・スプリンガー(アストロズ時代)
1989年9月19日生まれ(36歳)
アメリカ合衆国コネチカット州ニューブリテン出身
当時所属のアストロズのワールドシリーズ制覇が、サイン盗みという不正行為によるものと考えるドジャースファンから、今もブーイングを浴びることの多い選手でもあります。
Embed from Getty Images 2017年
当時27歳で球団史上初のワールドチャンピオンに貢献し、シリーズMVPにも輝いた。
現在トロント・ブルージェイズに所属。
2017年、シーズン最終で先頭打者本塁打トータル9本という球団記録を樹立し、臨んだドジャースとのワールドシリーズ。
7試合34打席でシリーズタイとなるホームラン記録のほか、打率.379、7打点、OPS1.471の成績を残し、チーム初となるワールドチャンピオンに貢献しました。
今もなお、「ここぞの場面」での活躍が光る現役メジャーリーガーです。
その他のトップ記録保持者
フレディ・フリーマン(ドジャース時代)
1989年9月12日生まれ(36歳)
アメリカ合衆国カリフォルニア州ファウンテンバレー出身(国籍はカナダとの二重国籍)
WS優勝後の2021年オフ、ブレーブス残留を望んだものの球団側の5年契約提示に対し本人は6年契約を求め交渉が難航、ドジャースへ移籍する流れに。
2021年プロ入りから所属していたブレーブス時代に一度ワールドチャンピオンを経験。
ドジャース移籍3年目で迎えた2024年は、シリーズ5試合20打数、最多打点に加え、4本塁打、OPS1.364の活躍ぶり。
34歳でワールドシリーズMVPにも輝きました。
フィル・ガーナー(パイレーツ時代)
1949年4月30日生まれ(76歳)
アメリカ合衆国テネシー州出身
不屈の精神と粘り強いプレースタイルから「スクラップ・アイアン(鉄くず)」の愛称で親しまれた選手。
現役時代は5球団でプレーし、引退後は3球団でコーチ・監督を歴任したガーナー。
自身2チーム目に在籍したパイレーツ時代に初めてWS進出。オリオールズとの最終第7戦までもつれ込んだ攻防では、
24打数12安打、5打点をあげ、シリーズ制覇に貢献。
ビリー・ハッチャー(レッズ時代)
1960年10月4日生まれ(65歳)
アメリカ合衆国アリゾナ州出身
1981年ドラフト6巡目(全体131位)でカブスから指名されプロ入り、7球団を渡り歩いたジャーニーマン。
アスレチックスに対し、負けなしの4-0スイープで優勝を掴み取った1990年ワールドシリーズ。
ここでは、7打数連続ヒットを含む12打数、9安打、4ツーベースヒットと勢いに乗り、
チームに活力を与え攻撃に火をつける「スパーク・プラグ」として、仲間たちからも大いに称賛されたそうです。
【投手編】最高の舞台でトップ記録をマークした選手たち
マリアノ・リベラ(ヤンキース時代)
1969年11月29日生まれ(55歳)
パナマ・パナマ県パナマ市出身
MLB歴代最多の通算652セーブでギネス世界記録を保持し、史上唯一となる得票率100%で米野球殿堂入りした人物。
Embed from Getty Images 1998年
第4試合で最終アウトを奪いパドレスに勝利、ヤンキースは4勝0敗でシリーズを制した。
1995年(25歳)から2011年(41歳)までの16年間で、ポストシーズンすべてを合わせると32シリーズに出場。
トータルでのセーブ数は42回を数えます。
そのうちワールドシリーズでは7シリーズのうち24ゲームにリリーフ登板し、11セーブを挙げました。
ホワイティー・フォード(ヤンキース時代)
1928年10月21日生まれ~2020年10月8日(91歳没)
アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク出身
選手生活のすべてをヤンキースで過ごしたフランチャイズプレーヤーであり、球団史上最多の通算236勝を記録。
Embed from Getty Images 1955年
優勝祝賀会でフォードがチームメイトに囲まれ中央に担ぎ出される(手前右から2番目)。
1950年、21歳で初めてワールドシリーズで1勝を挙げ、それから1964年までの11シリーズで通算22先発登板。
146.0回イニングを投げ、10勝利、3回の2ケタK(ケー)を含む通算94奪三振、これらはいずれも歴代トップ。
