こんにちは!
ちょっかんライフです。
日常のなかで、直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げるページーー。
プレーオフで後々まで波紋を呼んだ監督判断
米スポーツ専門メディア ESPNは11月6日(日本時間7日)、過去のプレーオフを振り返ってみて、当時大きな波紋を呼び、今なお人々に記憶されているエピソードをリストアップで紹介。
今回当記事ではそこから厳選し、監督采配にまつわる逸話を取り上げます。
MLBプレーオフ振り返りエピソード集
いま振り返っても忘れがたく物議を醸した、指揮官たちの意思決定や裏目に出た決断。
MLBのポストシーズンで、過去に勝敗を左右することになった数々の出来事を見ていきましょう。
2003年 チャンピオンシップシリーズ
グレイディ・リトル監督(Rソックス)が投手交代のタイミングを見誤る?
- 2003年ア・リーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)第7戦
- ボストン・レッドソックス vs ニューヨーク・ヤンキース
- ヤンキースが4勝3敗でリーグ優勝、ワールドシリーズ進出
2003年シーズンのレッドソックスといえば、ヤンキースとのリーグ優勝決定シリーズで、グレイディ・リトル監督が下した決断がいまだに深く記憶されています。
レッドソックスは8回表を5-2でリードし、ワールドシリーズ進出まであと5アウトという状況。
先発投手のペドロ・マルティネスが2安打を許したあと直ぐにリトル監督はマウンドを訪れましたが、その時点で115球を投げていたエースピッチャーを交代させないことを選択。
結果、次の打席で松井秀喜らのヒットで同点に追いつかれ、11回裏のアーロン・ブーン(現ヤンキース監督)の本塁打でゲームオーバー。
Embed from Getty Images 20023年
ALCS第7戦、7回にホームランを打たれうなだれるマルティネス。
野球評論家たちは、
マルティネスの投球数が100を超えた時点で防御率がほぼ3倍に跳ね上がっていたこと
レッドソックスには十分に休養したリリーフ投手3人がブルペンで待機していた
と、交代のタイミングを見誤ったことを指摘。
一方で支持者のなかには、監督のマルティネスに対する信頼は、そもそもチームをここまで率いたリトルならではの ”直感的戦略スタイル” に符号するものだ、とする擁護論も。
それでも球団のフロントオフィスは刷新案を採用し、最終的にリトル監督を解雇。
テリー・フランコーナを新指揮官に迎え入れた後、2004年のワールドシリーズで優勝を果たしました。
2020年 ワールドシリーズ
ケビン・キャッシュ監督(レイズ)の焦りが裏目に?
- 2020年ワールドシリーズ第6戦
- ロサンゼルス・ドジャース(NL) vs タンパベイ・レイズ(AL)
- ドジャースが4勝2敗で32年ぶり7回目の優勝
両リーグの最高勝率チームどうしが対戦した、2020年ワールドシリーズ第6戦。
レイズ先発のブレイク・スネル(現ドジャース)は1回と4回に3者三振を奪うなど、ドジャース相手に5回まで見事なピッチングを展開。6回ワンアウトでヒットを許したとはいえ、この時点でまだ球数は73球。
それでもこのタイミングでなぜかケビン・キャッシュ監督はスネルの交代を決断。
Embed from Getty Images 2020年
WS第6戦、交代を告げられた瞬間の反応が…こちら(笑)。
すると6回裏、投入された2番手のニック・アンダーソンはムーキー・ベッツに二塁打を浴びるなど、ドジャースがあっという間に2点を奪って逆転。
スネルが当時のドジャース上位打線、ベッツ、コーリー・シーガー(現レンジャーズ)、ジャスティン・ターナー(現カブス)ら主力1~3番を合計6打席すべて三振に仕留めていただけに、
キャッシュ監督への「焦った感は否めない」との声は大きく、当時波紋を呼んだ交代劇。
この降板が裏目となり、レイズは球団史上初のワールドシリーズ制覇への夢が潰えてしまったのでした。
2016年 ワイルドカードゲーム
バック・ショーウォルター監督(オリオールズ時代)の謎多き判断
- 2016年アメリカンリーグのワイルドカードゲーム
- ボルチモア・オリオールズ vs トロント・ブルージェイズ
- ブルージェイズが勝利しア・リーグディビジョンシリーズ(地区シリーズ)進出
オリオールズのザック・ブリットン投手は2016年、
するなど、歴史に残るようなリリーフシーズンを送っていました。
にもかかわらず、2年前オリオールズを地区優勝に導き3度の最優秀監督賞を誇るショーウォルター監督は、どういうわけかこの年のワイルドカードゲームで絶対的守護神ブリットンを起用せず。
一度の登板もないままチームも敗退、地区シリーズ進出は叶いませんでした。
そのあと、ブリットンはオフのサイ・ヤング賞投票で4位、リリーフ投手としては最上位の評価を得ています。
1995年 ディビジョンシリーズ
ショーウォルター監督(ヤンキース時代)が147球投げさせる
- 1995年ア・リーグディビジョンシリーズ第5戦
- シアトル・マリナーズ vs ニューヨーク・ヤンキース
- マリナーズが3勝2敗で勝利し、リーグチャンピオンシップシリーズへ進出
デビッド・コーンはロイヤルズ時代の1994年に自身初のサイ・ヤング賞を獲得。
翌1995年4月交換トレードでブルージェイズに復帰し9勝を記録していましたが、7月終わりに再び交換トレードでヤンキースに移籍。
新天地では2ヶ月で9勝を挙げ、チームのワイルドカード獲得に貢献します。
マリナーズとのディビジョンシリーズでは第1戦に先発して勝利投手に。
2勝2敗で迎えた最終第5戦にも先発登板、
7回まで2点に抑えますが、8回にケン・グリフィーJr.のホームランで1点を返され、リズムを崩されたコーンはこのあと、四球、ヒット、四球で満塁のピンチに。
ところが、「彼はベストを尽くしここで降板するでしょう」との現地実況も空しく、ショーウォルター監督はコーンを交代しようとしません。
窮地で投じた147球目、結局押し出しフォアボールで同点、なおもツーアウト満塁。
Embed from Getty Images 1995年
8回に同点打を打たれ思わず膝に手を置きうなだれるコーン。
ここでようやく降板となりましたが、かくして流れはマリナーズに傾き、結果、監督の目論見は外れ延長11回裏にシリーズ敗退。
翌シーズンはジョー・トーリがショーウォルターの後任としてヤンキースの監督に就任しました。
2024年 ワールドシリーズ
アーロン・ブーン監督(ヤンキース)が1か月以上登板なし投手を起用
- 2024年ワールドシリーズ第1戦
- ロサンゼルス・ドジャース(NL) vs ニューヨーク・ヤンキース(AL)
- ドジャースが4勝1敗で4年ぶり8回目の優勝
ラインナップでは、アーロン・ジャッジと大谷翔平に加え、
ヤンキースのジャンカルロ・スタントン、ドジャースのムーキー・ベッツとフレディ・フリーマンがレギュラーシーズン最優秀選手賞(MVP)受賞経験者。
しかもそのMVPが両チーム合わせて史上最多となる5人も揃ったゴージャスなシリーズーー。
その幕開けとなった第1戦、
延長戦で勝ち越しを許し、あとのないドジャースは一死から8番ギャビン・ラックス(現レッズ)が四球、9番トミー・エドマンが内野安打で1、2塁のチャンスをつくります。
打者・大谷の場面で、ブーン監督は1ヶ月以上も登板していなかった左投手のネスター・コルテスを投入。
大谷はその初球を叩くもレフトへのファウルポップアウトに。しかし、この打球を処理する際、ヤンキースのアレックス・バードゥーゴが身体ごと観客のいるスタンドへ落下。
ルールによりランナーが進み2、3塁に、ベッツは申告敬遠。
二死満塁の場面で3番フリーマンが初球の速球を叩き込み、逆転サヨナラ。
この一発はワールドシリーズ史上最も劇的なホームランのひとつとなりました。
Embed from Getty Images 2024年
フリーマンにサヨナラ満塁本塁打を許しフィールドを去るコルテス。
2001年 ワールドシリーズ
ボブ・ブレンリー監督(Dバックス)の救援失敗ゲーム采配
- 2001年ワールドシリーズ第5戦
- アリゾナ・ダイヤモンドバックス(NL) vs ニューヨーク・ヤンキース(AL)
- ダイヤモンドバックスが4勝3敗で球団創設4年目初優勝
2001年よりダイヤモンドバックス監督に就任したブレンリーはその年、ヤンキース相手にワールドシリーズを制した唯一の監督。
ですが、シリーズを通し2戦続けて救援に失敗、敗戦を喫したゲーム采配については議論を呼びました。
第4戦、8回表で1点勝ち越したところでキム・ビョンヒョンが登板。すると9回裏に同点2ランホームランを許し、さらに10回にはデレク・ジーターにダメ押しホームランを打たれ2勝2敗のタイに持ち込まれます。
つづく第5戦にも登用されると、今度は9回裏に2ランを浴び土壇場で同点に追いつかれて2連敗。
マウンドで打ちひしがれたキム・ヒョンジュンの悲愴な姿は、勝つか負けるかのワールドシリーズを象徴する究極の光景として今も生き続けています。
Embed from Getty Images 2001年
2ランを浴び同点に追いつかれた後、マウンドにうずくまるキム。
2015年 ワールドシリーズ
テリー・コリンズ監督(メッツ)の悪夢のような決断
- 2015年ワールドシリーズ第5戦
- カンザスシティ・ロイヤルズ(AL)vs ニューヨーク・メッツ(NL)
- ロイヤルズが4勝1敗で30年ぶり2回目の優勝
メッツのエース、マット・ハービーはロイヤルズ打線を完璧に抑え8回終了時点で2対0とリード。
ニューヨークの熱狂的なファンはハービーに大声援を送り、この時点ではメッツが逃げ切り、決着は第6戦に持ち越しかと思われたところでコリンズ監督が登場。
ここで9回の仕上げを、抑えの切り札ヘウリス・ファミリアに任せようとすると、ハービーは自分が試合を終えると強く主張。 コリンズ監督の表現を借りれば
「”感性” が”理性” を超越した決定」
ということでハービー続投。
この判断が取り返しのつかない事態を招きます。
2年連続で最終決戦に辿り着いた百戦錬磨のロイヤルズは、9回に反撃を開始。
1点を返すと、遅きに失しハービーの後を継いだファミリアから1死三塁のチャンスをつかみ同点。
ロイヤルズが延長12回を制し優勝、メッツにとっては悪夢のようなマッチアップとなったのでした。
Embed from Getty Images 2015年
9回裏に力尽き、ハービーがついに監督にボールを手渡す。
2006年 ディビジョンシリーズ
ジョー・トーリ監督(ヤンキース)のオーダー変更策が物議?
- 2006年ア・リーグディビジョンシリーズ第4戦
- ニューヨーク・ヤンキース vs デトロイト・タイガース
- タイガースが3勝1敗でリーグチャンピオンシップシリーズ進出
同シリーズ第3試合でタイガースに0-6と完封負けした後、
トーリ監督は、Aロッドことアレックス・ロドリゲスの打順を4番から8番に下げ、ニューヨークのマスコミはこれを大々的に報じることに。
報道に乗じヤンキースファンも黙ってなどいません。
と、様々な意見が飛び交うことに。
ただ実際、当時30歳のA・ロッドは、このシリーズ(ALDS)4試合14打数でヒットはわずか1本、打率.071、出塁率.133と低迷し、最終第4戦でも3打数無安打に終わりチームは敗退。
A・ロッドの名誉のために補足すると、彼は2009年ついにPS不振からの脱却を遂げ、プレーオフでの打率.365、6本塁打を記録しヤンキースをワールドシリーズ優勝へと導きました。
2019年 ワールドシリーズ
A.J.ヒンチ(アストロズ時代)の不可解すぎる登用法
- 2019年ワールドシリーズ第7戦
- ワシントン・ナショナルズ(NL) vs ヒューストン・アストロズ(AL)
- ナショナルズが4勝3敗、球団創設51年目で初優勝
最終戦へともつれ込んだ第7戦、アストロズが2-0とリードしていた7回表、先発登板のザック・グレインキーがナショナルズのアンソニー・レンドンにソロ本塁打を打たれ1点差に。
続く4番フアン・ソト(現メッツ)に四球を許したところで、まだ80球ながら降板。
この大事な場面で誰もが、第5戦で力投勝利しプレーオフでの奪三振数が歴代2位の47に到達したゲリット・コール(現ヤンキース)が投入されると確信。
ところが期待に反し、ヒンチ監督はウィル・ハリスをマウンドへ。
するとすかさず逆転2ランを浴び、ナショナルズは残り2イニングでさらに3点を追加。
ギリギリの崖っぷちの中、コールは単独でウォーミングアップを開始しましたが、ヒンチ監督は同投手をイニングの先発、もしくはリードしている時のみにしか起用しないとコメント。
Embed from Getty Images 2019年
第5戦の先発登板では7回1失点と勝利を呼び込んだコール。
コールはその年のレギュラーシーズン、5月以降の25試合登板で19勝0敗、防御率1.59と支配的な投球を見せ、
ポストシーズンではディビジョンシリーズとリーグチャンピオンシップシリーズ3先発で3勝0敗、1失点、防御率0.40と驚異的な結果を残しており、…まさしく完全無敵の状態でした。
