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サッカートルシエ通訳で一躍有名!スポーツジャーナリストダバディ氏の今現在

時の話題

こんにちは!

ちょっかんライフです。

今回も一人暮らしの直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げてまいります。

ーーサッカーの通訳で一躍有名になったスポーツ・ジャーナリストのフローラン・ダバディさん。

生まれ故郷のフランスで開かれるパリ・オリンピックを前に2024年現在、どのようにお過ごしなのでしょう。

気になったのでいろいろと調べてみました。

どうぞ最後までお付き合いください。

過去のインタビューでフローラン・ダバディさんは人生のターニングポイントについて聞かれ、次のように語ることがありました。

それはトルシエ監督の通訳になるずっと前、高校卒業後、フランス国立東洋言語文化学院という大学で「日本語を学ぶと決めた時」が最初の転機と回想したところから始まるものーー。

家族に相談すると、映画監督・脚本家であり作詞家としても著名だった父親は「東洋のことは全然分からないけれど、(当時)世界第2の経済大国だから日本語を学べばきっと仕事はあるだろう」と。

つぎに、フランス貴族の血筋を受け継ぎ権威ある文学賞のひとつゴングール賞の事務局長にもなった母親からは「あなたは昔から日本の建築や映画が好きだったからいいと思うわ」と。

両親それぞれが学ぶことに賛成してくれたのだそうです。

こうして無事来日を果たし、日本でキャリアをスタートさせますが、就いた仕事はサッカーとは無関係な映画雑誌「プレミア日本版 」の編集者。

そんなある日、映画専門紙の編集部で忙しく働いていたフローラン・ダバディさんのもとに、思いもかけないオファーが舞い込みます。

それは、「日本サッカー代表に新しく就任したフィリップ・トルシエ監督の通訳をしないか」という予期せぬ提案。

なんでも通訳者探しは困難を極め、巡りめぐってようやくダバディさんのところまで行き着いたのだそう。

依頼を受けてじっくり考える暇もないまま、勤め先が副業を認める決定を下したこともあって、最終的にこの懇請を引き受けることに!

映画や文学の世界で生きていたダバディさん、今の時代の通訳はコーチのライセンスを持っている人がその任に当たるそうですが、当時はまったくそのような履歴のない人物に白羽の矢が立つ時代だったのですね。

新しい世界に飛び込んではみたものの、最初からいきなり順風満帆とはいかなかった通訳のお仕事。

後年は関係性を修復したとはいえ、着任して間もない頃はフローラン・ダバディさんより上の世代の選手とはうまくいきませんでした。

カズ選手(三浦知良)や北澤豪選手、秋田豊選手たち、日本サッカー界を切り拓いてきた黄金世代。

というのも、いきなり通訳についたフローラン・ダバディさんは当時学生あがりの24歳。

監督の言葉をそのまま伝えるだけとはいえ、彼ら実績を積んだベテラン勢からすれば若干24歳の若造にしか映らない…..。

トルシエ監督の独特な個性や口調に身振り手振りを交え、一挙手一投足そのままを真似たやり方は、選手たちから「知らない惑星から来た異星人」という奇異な印象をもたれてしまったかもしれないと当時を振り返っています。

それからずっとフローラン・ダバディさんは、一つひとつ細かいニュアンスを訳すのに苦労しながらも、2002ワールドカップ日韓大会終了まで、サッカー日本代表監督フィリップ・トルシエのパーソナル・アシスタントとしての務めを全うしたのでした。

日韓ワールドカップのあとは、2004年から「すぽると!」(フジテレビ)というスポーツ番組で毎週金曜日、生放送コーナーを担当。

また同時期に、WOWOWのテニス番組からもオファーがあり中継番組のキャスターにも挑戦することに。

自分への期待を、他では得られない海外情報を伝えることと理解したダバディさんは、事前に他国の新聞をできるだけたくさん読み、伝えるべき競技を一から学ぶなどの情報収集に奔走するのでした。

もちろんサッカーだけにとどまらず、F1レースやアメリカンスポーツも担当するようになったため、ゼロから勉強しなければならないことが山のようにあったそうです。

@WOWOWofficial YouTubeチャンネル

フローラン・ダバディさんは過去のインタビューにこたえ、スポーツをジャーナリズムの一角に据えた発言をすることがありました。

ーー日本に限ったことではなくテレビの制作会議では、仮に自分が反対意見を出したとしても、多数のプロデューサーやディレクターが ”この方向で” と決めたら従わざるを得ない世界。

そのため、いつの日か自分が全コンテンツを決められる編集長のような立場になろうと思い至ります。

そして、この経験と決心がのちのWOWOWでの番組に活かされ、キャスターと言うよりジャーナリストとして仕事ができたと振り返るのでした。

では、ダバディさんが唱えるスポーツ・ジャーナリストとはいったいどのような信条から成り立つものなのでしょう・・・。

2022/06/07
『3週間のローランギャロス、日記続編』とのキャプション付きご自身のインスタから。

時を超えダバディさん、スポーツジャーナリストとしてトルシエ監督にインタビュー中のワンシーン

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Florent Dabadie Instagramより

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Florent Dabadie Instagramより

もともとスポーツに惹かれたのは異文化や旅が好きだったからというフローラン・ダバディさん。

WOWOWでの番組作りでは常に選手たちを通して、彼らの国の文化歴史あるいは選手一人ひとりの生い立ち人間性などを伝えることができないかを模索。

取材で得られた選手たちのバックボーンを番組作りに生かしていくうちに、いつの間にかフローラン・ダバディさんはスポーツと文化の結び付け役を担うようになっていったのです。

ーーそして月日は巡り2024年。

いま、フローラン・ダバディさんはどんな活動をしているのでしょう。

人名検索すると、現在もWOWOWでテニス番組のナビゲーターや自転車のロードレース関連の仕事、フランス大使館のスポーツ/文化イベント制作に関わるなど幅広く活躍されているようです。

またご自身のSNSでも情報発信を続けていて、今年3月にはNHKの外国語サービス『NHKワールド JAPAN』で放送された《日本をめぐるサイクル旅》の様子を紹介していました。

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Florent Dabadie Instagramより

フローラン・ダバディさんのヘルシーなライフスタイルの一端がうかがえるショットの数々!

一方で、もともと映画やアートに造詣の深いダバディさんらしく、同2月には麻布台ヒルズにオープンしたばかりの『チームラボボーダレス(teamLabBorderless)』で、境界のない異空間に浸りきる写真がアップされています。

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Florent Dabadie Instagramより

チームラボボーダレスは、アートコレクティブ・チームラボの境界のないアート群による”地図のないミュージアム”。連続するひとつながりの世界に身体ごと没入すると思わず日常から解き放たれてしまいそうですね。

冒頭でも触れましたが、この夏フローラン・ダバディさんの生まれた街、『パリ』でオリンピックが開催されます。

以前の本人のインスタグラム(Instagram)には、『#フランス出張』と題し「Goodbye Paris またね」と一文を添えた投稿がありました。

今回のパリ五輪でもスポーツ・ジャーナリストとして『フランス出張』の機会を得て、競技に限らずパリの歴史や文化を私たちにナビゲートしてくれることがあるかもしれませんね。

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Florent Dabadie Instagramより

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Florent Dabadie Instagramより
抜粋

パリ16区で生まれたというフローラン・ダバディさん。セーヌ川を挟みエッフェル塔の対岸にあたる北側地域一帯はパッシー(PASSY)と呼ばれ、旧貴族やハイソサエティが住む高級住宅街として有名な界隈です。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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