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ドジャースピッチングコーチ、マーク・プライアー元投手!波瀾万丈の野球人生とは

MLB

こんにちは!

ちょっかんライフです。

今回も一人暮らしの直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げてまいります。

現在、ロサンゼルス・ドジャースのピッチングコーチを務めるマーク・プライアー氏。

かつては期待のトッププロスペクトとして注目され、実質メジャーで5シーズン活躍した経歴の持ち主。

そんなプレーヤーがなぜ指導する側に回り、ピッチングコーチをつとめるようになったのか・・。

今回はマーク・プライアー氏が歩んだ波瀾万丈の野球人生についての紹介記事です。

どうぞ最後までお付き合いください。

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マーク・プライアー/経歴

Embed from Getty Images 2002年
プロ入り間もない頃のマーク・プライアー投手。

生年月日:1980年9月7日(44歳)
出身地:アメリカ合衆国地 カリフォルニア州サンディエゴ
身長:195.6 cm
体重:104.3 kg

背番号:99

マーク・プライアーは、カリフォルニア州サンディエゴで生まれ、父親はヴァンダービルト大でカレッジフットボールをしていたというスポーツ一家に育ちました。

1998年のドラフトでヤンキースから指名を受けますが、父の母校ヴァンダービルト大へ進学し、そこで野球を続けながらビジネスの学位取得を目指すことに。

その後編入した南カリフォルニア大(USC)で全米大学野球最高の選手に贈られるゴールデンスパイク賞、ベースボールアメリカ・カレッジ年間最優秀選手賞ほか、数々の名誉ある賞を受賞。

Embed from Getty Images 2000年
大学野球時代、USCフィールドで行われた試合での投球シーン。

2001年ドラフトでは全体2位で指名を受け、破格の契約金1050万ドル(当時レートで約13億9000万円)でカブス入り。

ちなみに、この時の全体1位は地元ツインズ一筋、引退後は背番号7がチームの永久欠番となり、2024年資格取得1年目にしてアメリカ野球殿堂入りを果たしたジョー・マウアー氏(現在42歳)。

2002年はマイナーリーグでわずか9試合に先発出場してすぐ、21歳でメジャーリーグ昇格。ルーキーシーズンのこの年は19試合に先発登板、そのうち6試合で2桁の三振を奪い、最終成績を6勝6敗、防御率3.32、147奪三振で終えました。

Embed from Getty Images 2002年
当時ファンたちは三振を奪うたびにファーストネームを綴り、「K」のカードを掲げた。

プライアー投手に対する評価は凄まじく、当時『ESPN』記事の中で、全米投手連盟のゲイリー・ハイル氏、そして投球動作に関する科学的研究で知られたマイク・マーシャル博士などがこぞって、「どの選手よりも優れた ”完璧” な投球メカニクスを持ち、将来の成功を約束されたピッチャー」と称賛。

Embed from Getty Images 2003年
カブス時代。メジャーデビュー2年目にサイ・ヤング賞投票で3位に。

2003年には、リーグ2位タイとなる18勝、245奪三振、防御率2.43はリーグ3位という好成績を残し、サイ・ヤング賞投票では3位に入る活躍ぶり。

ただこのシーズン、試合中に相手選手とフィールド上で激しく衝突するアクシデントに見舞われ、初選出されていたオールスター欠場を余儀なくされています。

それでも何とかケガから復帰すると10勝を挙げ、カブスをプレーオフへと導く立役者に。

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プロになって初めての接触プレーを経験。

その後のディビジョンシリーズ(地区シリーズ)ではリーグチャンピオンシップシリーズに進出。

プライアー投手が無失点試合で好投、ワールドシリーズ出場までアウト5つというところでファンの守備妨害をきっかけに形勢が一転、最後は逆転を許す結果に終わりました。

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全盛期には時速90マイル(約150キロ)台半ばの速球、カーブ、チェンジアップを投げ分けた。。

2004年シーズンは最初の2ヶ月間をアキレス腱の負傷と前年の接触プレーで傷めた肘痛のため、故障者リスト(IL)からのスタート。

翌2005年も肘の炎症に悩まされILから開幕を迎えますが、復帰後は最初の3試合で勝利するなど順調かと思えた矢先、今度はピッチャーライナーを右肘に受け圧迫骨折を負ってしまい1ヶ月間の戦線離脱

それでもこのシーズンは27試合に先発、負傷による欠場はあったものの188の三振を奪いナ・リーグで9番目に多い記録を残しました。

Embed from Getty Images 2005年
ライナーが腕に当たり地面に倒れたまま動けず。

2006年に入ると右肩の肉離れ肘痛が再発、さらに夏には打撃練習中に左腹斜筋を傷めわずか9試合登板に終わり、1勝6敗、防御率7.21という自己最悪の成績でシーズン終了。

つづく翌年、2007年シーズンが始まる前にカブスと1年357万5000ドル(当時レートで約4億3800万円)の契約延長を結び再起が期待されましたが、開幕前にマイナー落ちを告げられてしまいます。

4月に関節唇、関節包前部、および回旋筋腱板の断裂による再建手術を受けると、そのまま一度もメジャーに上がることなくオフにはFA(フリーエージェント)へ。

27歳の誕生日を前に、カブスでの輝かしい活躍、そしてメジャーリーガーとしての短いキャリアをほぼ終えることとなりました。

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投手として輝く時代を送った古巣カブス戦をダグアウトから見つめる。

メジャーリーグでの投球を終えたあともマーク・プライアーは復帰の道を模索し続けました。

そして2007年暮れ、パドレスと1年100万ドル(当時レートで1億1400万円)のインセンティブ付き契約に合意。

2008年はシーズン途中での登板を励みにリハビリを続けていましたが、まさか再びの右前関節嚢断裂、手術となりメジャーへの道を絶たれます。

翌年の 2009年1月、パドレスと1年契約延長を果たしたものの、それはマイナーリーグでの契約。さらにその後リハビリの進展が見られないことにチームが失望し、同年8月1日をもって契約解除に。

2010年、プライアー投手は独立リーグでのプレーにも挑戦、ほどなくしてレンジャーズとマイナー契約を結びます。所属2球団合計で12回を投げ24奪三振をマーク、投げれば相変わらずの奪三振率を誇りました。

同年末にヤンキースとマイナー契約を結んだ直後、鼠径部の負傷でIL入りし、2011年もメジャー昇格はかなわず11月にFA。

2012年はレッドソックス傘下(マイナー)でプレーを続け、不屈の闘志みなぎるプライアー投手。

2013年、当時レッズ監督だった*ダスティ・ベイカー氏に電話をかけ球団入りを打診。同球団とマイナーリーグ契約にこぎ着けましたが、7試合に出場したところでまたもや肩を負傷

その夏、自由契約となったマーク・プライアーは、12月ついに現役引退を表明したのでした。

プライアー氏は度重なるケガで戦線離脱している最中、大学時代に目指していたビジネスの学位を2004年南カリフォルニア大学マーシャルビジネススクールで取得していました。

加えて引退した2013年、彼はカブス時代とレッズ傘下で世話になった前出の*ダスティ・ベイカー氏と昼食を共にした際、野球界で新たなキャリアを築こうと促されます。

「時間を無駄にしないで、ただ戻ってやればいい。」

その言葉に後押しされるかのように、その年サンディエゴからのオファーを受け入れたのです。

ダスティ・ベイカー 75歳(6月15日で76歳)
アストロズ監督時代に大谷がバッターボックスに入るたび、お互い帽子のつばに手を添え挨拶を交わすことでも話題となったあの監督です。
2003~2006 カブス監督
2024~現在 ジャイアンツ野球運営部門の特別顧問

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当時レッズで監督をしていたダスティ・ベイカー氏。

メジャーリーグという舞台で再びまた、より長期にわたって挑戦できるチャンスを与えてくれたのはベイカー氏のおかげと考えるマーク・プライアー氏は、2013年パドレスのフロントオフィスで新たなキャリアを開始。

チームの野球運営部門アシスタントとして米球界のフロントオフィスの仕組みを学ぶ機会を得ます。

2015年にマイナーリーグ投手コーディネーターに任命され、3シーズンをつとめ上げました。

そして2018年シーズン、ロサンゼルス・ドジャースのブルペンコーチに就任。2年後には前任の投手コーチ引退に伴って後任に昇格。

同球団は2020年、プライアー氏を正式にピッチングコーチに任命。

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ランドン・ナック選手と試合中、ダグアウトで話し合う。

そのコーチング哲学は、選手としての卓越した投球センスやピッチング技術、試合の運び方やプロとしての在り方だけでなく、ケガや挫折、ミスをも含めた数々の学びと経験を投手陣に惜しみなくシェアするというもの。

2023年4月『ロサンゼルス・タイムス』のドジャース担当、ジャック・ハリス記者の記事にもプライアーコーチに対するクレイトン・カーショウの言葉が紹介されています。

「マークは本当にタフな人だと思う。本当に尊敬している。」

2024年『The Athletic』の創刊編集者でありコラムニストのジョン・グリーンバーグ氏は記事の中で、ドジャース投手コーチとしてのマーク・プライアーの存在は、27歳で腕が利かなくなっても人生は終わらないということを思い出させてくれると総括しています。

実際のところ、例年ドジャースが投手陣の故障に悩まされていることを考えると、彼以上の適任者はいないだろうとも。

「彼はメジャーリーグの投手コーチの中で、スーパースターでありながらケガをしたり解雇される経験を味わい、それでも復帰へのチャンスを試みた数少ない人物の一人かもしれない」

同記事のインタビューでドジャースのデーブ・ロバーツ監督もそのように語りました。

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昨季、パドレスとのディビジョンシリーズ戦を前に山本由伸投手に寄り添う。

プライアーコーチ本人も自身の現在地についてコメント。

「コーチとしてのキャリアを始めてみると選手たちの成長を目の当たりにできるのが本当にすごい。コーチという立場で球界に復帰し、ダグアウトやブルペンに戻ったら再び闘志が湧き上がってくる。この経験は他に類を見ないものでとても楽しい。」

Embed from Getty Images 2025年
ブルペンでの投げ込みを終え大谷らとグラウンドに姿を見せる(左)。

2025年シーズン、5月に行われた試合の途中で審判の判定に抗議して退場になるなど熱血漢の一面を残しつつ、試合前のブルペンでは投手・大谷の投げ込み再開をロバーツ監督、ゴームズGMら10人の球団上層部らと共に見守った同コーチ。

状態を見極めようとする冷静沈着な姿もまた印象的でした。

 以上、今回はマーク・プライアーコーチが歩んできた紆余曲折の野球人生について紹介しました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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