こんにちは!
ちょっかんライフです。
日常のなかで、直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げるページーー。
MLBプレーオフで起こった信じられない出来事
メジャーリーグベースボール(MLB)のプレーオフでは、これまで信じられないようなプレーや注目に値する重要な瞬間、ハイライトシーンが幾つもありました。
一方、勝負の結果とは別のところで、時を経てなおスポットが当たり続ける忘れがたい出来事も存在します。
今回は、そういった数々の見せ場のほかに、スター選手の陰に隠れた真のヒーローたちもご紹介。
それではさっそく見ていきましょう。
3つの印象的な瞬間、見どころ、そして注目のシーン
2003年 リーグチャンピオンシップシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース vs ボストン・レッドソックス
- ヤンキースが4勝3敗で2年ぶり39回目のリーグ優勝およびワールドシリーズ進出
「光」の部分では松井秀喜の活躍が印象的だったこの年のポストシーズンですが、「影」の側に目を向けてみるとーー。
2023年のアメリカンリーグ優勝決定シリーズ(ALCS)は、ヤンキースとレッドソックス間での激しいライバル対決に、
特に第3戦で起きた、ドン・ジマーベンチコーチが絡む乱闘事件が有名です。

試合中に何度となくケガを負ってきたんだ…
このシリーズはヤンキースが最終的に勝利を収め、アメリカンリーグ優勝を果たしましたが、
ジマーコーチにとってはこの乱闘騒ぎと退任という思わぬ形で記憶に残る出来事となりました。
Embed from Getty Images 2003年
大観衆の面前でマルティネスに投げ飛ばされた後、引き上げるジマーコーチ(中央)。
2007年 リーグディビジョン(地区)シリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース vs クリーブランド・インディアンス
- インディアンスが3勝1敗で勝利し、リーグチャンピオンシップシリーズへ進出
8月にメジャー初昇格したばかりのヤンキースのルーキー、ジョバ・チェンバレン投手は、
9月に初セーブを挙げると自責点は1点ついたのみでレギュラーシーズンを終え、ポストシーズンを勝ち抜く上でのキープレーヤーになることが期待されていました。
ジョバ・チェンバレン
・1985年9月23日生まれ(現在40歳)
・父親はアメリカ合衆国先住民のウィンネバーゴ族インディアン
・生活苦から、高校時代は肉体労働等のアルバイトでアスリート費用や大学進学費を稼ぐ
・2006年ドラフト全体41位でヤンキースから指名され契約
そして迎えた、インディアンス(現ガーディアンズ)の本拠地ジェイコブス・フィールド(現プログレッシブ・フィールド)で開催されたア・リーグディビジョンシリーズ(ALDS)第2戦。
7回途中1-0でヤンキースがリードした場面で登板したチェンバレン、
その身に起こった信じがたい出来事、…それが「バグ・ゲーム(Bug Game)」でした。
この事件は「The Infamous Bug Game (悪名高き虫のゲーム)」として知られ、
天候や環境などの外的要因(ここでは虫の大量発生))が重要な試合結果に予期せぬ障害と決定的な影響を与えた事例として、MLB史における象徴的な瞬間の一つとなっています。
Embed from Getty Images 2007年
虫除けスプレーをかけられたあと、かえって虫を引き寄せる羽目に。
2005年 リーグチャンピオンシップシリーズ
- シカゴ・ホワイトソックス vs ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム
- ホワイトソックスが4勝1敗で46年ぶりリーグ優勝および5回目のワールドシリーズ進出
リプレイが導入される以前の2005年、アメリカンリーグ優勝決定シリーズ第2戦、
ホワイトソックスのサヨナラの走者、A.J.ピアジンスキーを出塁させた疑惑の振り逃げ判定が物議を醸しました。
「球審がアウトを宣告しなかったから、ワンバウンドなんだろうと思って走っただけ」
同シリーズ後、ピアジンスキーが言い放ったひとことも火に油を注ぎ、エンゼルス戦のたびに相手ファンから激しいブーイングを浴び続けることとなりますーー。
サヨナラ勝ちを収めた試合で起きた審判判定を巡る不審の事件といえますが、
同時にこの出来事は、ホワイトソックスが最終的にワールドチャンピオンになるきっかけともなった一戦でした。

と、ここで話の締めにA.J.ピアジンスキーの”超アク強”オモシロ人物像を公開!
Embed from Getty Images 2006年
翌年のカブス戦では相手捕手にタックルして本塁を踏み、このあとパンチを見舞われ乱闘騒ぎに。
最も重要なシーンで輝いた影のヒーロー
最後にベースボールの素晴らしさを実感できるエピソードをお届け。
世界最高峰のMLBに身を置く者は、きっと誰もがヒーローの可能性を秘めている!
特別な10月、チームが最も必要とした瞬間を鮮やかに演出した影の英雄たち、…重要な局面でシリーズを決定づけた4人のプレーヤーを紹介します。
ジェレミー・アフェルト
- 1979年6月6日生まれ(現在46歳)
- サンフランシスコ・ジャイアンツ(ワールドシリーズ優勝:2010、2012、2014年)
シンシナティ・レッズで1シーズンを過ごした後、2009年にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結ぶとすぐにキャリア最高のシーズンを送り始めたアフェルト。
そして、2010年、2012年、2014年のワールドシリーズ優勝チームの一員でもあります。
2010年、31歳で臨んだワールドシリーズで2試合に登板、ジャイアンツは4-1で勝利して自身初のワールドシリーズ優勝リングを獲得。
初戦から負けなしの4連勝、スイープでシリーズに決着をつけた2012年ワールドシリーズ第4戦、
8回にマウンドに上がったアフェルトは、タイガースの強打者ミゲル・カブレラら3者いずれも空振り三振に打ち取ってみせます。
同点の場面で相手打線の主要メンバーに対してのこの投球に、先発投手マット・ケインは
とてつもない仕事をやってのけたね!
と称えました。
そして2014年、ポストシーズン(NLDS、NLCS、WS)では11試合に登板し計11 ²/₃イニングを投げ、5安打無失点で、最初の所属チームであったロイヤルズ相手にワールドシリーズ制覇。
Embed from Getty Images 2014年
プロデビューを飾った最初の球団ロイヤルズ相手に好投。
ジャイアンツでの3度のプレーオフを通してジェレミー・アフェルトの投球は、奪三振能力が高いうえに22試合連続無失点をマークするなどその実力は群を抜いており、
チームが5年間で3度の優勝を飾った秘訣は、まさにリリーフを担った彼の貢献にあったと言えます。
ウィル・クライン
- 1999年11月28日生まれ(現在25歳)
- ロサンゼルス・ドジャース(ワールドシリーズ優勝:2025年)
記憶に新しい、ワールドシリーズ史上に残る延長18回の死闘となったブルージェイズとの第3戦。
15回からの4イニングからリリーフ登板し、無失点に抑えサヨナラ勝利を呼び込んだウィル・クライン投手、25歳。

ムムっ…あの貫録で25歳だと~~!!
2020年ドラフト5巡目(全体135位)でロイヤルズから指名されプロ入り、アスレチックス、マリナーズ傘下を経て、2025年トレードでドジャースに移籍。
それまで全くの無名だったリリーフ投手が急遽ロースターに加わっただけでなく、その投球数も驚異の72球。これまでメジャーで投げた1試合最多36球の倍をこの一戦で投げ切りました。
試合後は1000件を超すテキストメッセージがスマートフォンに届き、気づけば一躍ヒーローに。
ブルペンでは周りを見渡し誰もいなくなった状況で、もう自分しかいないとマウンドに向かい、コーチ陣から「あとどのくらいいける?」と訊かれるごとに「必要なだけいける」と応じたといいます。
ドジャースの同シリーズ4勝のうち、3勝はMVPの山本由伸投手ですが、
ほか唯一の勝星はクライン投手が挙げたたことになり、この素晴らしいパフォーマンスは、ワールドシリーズ史上最も心震えるリリーフ投球の一つとして記憶されることでしょう。
Embed from Getty Images 2025年
ドジャース優勝パレードには妻と一緒に参加。
ウィル・スミス
- 1995年3月28日生まれ(現在30歳)
- ロサンゼルス・ドジャース(ワールドシリーズ優勝:2025年)
プレーオフのキーマンといえば、ドジャースのもうひとりの ”ウィル” も忘れてはなりません。
2025年のワールドシリーズ連覇を達成したウィル・スミス捕手がその人です。
前述のとおり、MVPは先発投手の山本由伸でしたが、スミスは7試合すべてでキャッチャー防具を身に着けマスクを被り、合計73イニングを一度も休まず守り切りました。
チームの要として常に的確な判断を下し、個々のピッチャーを巧みにリード。
しかも攻守にわたる活躍とチームの一体感を高め続けた彼の働きは、多くのメディア関係者やファンたちから「影のMVP」と称賛されました。
Embed from Getty Images 2025年
WS最終第7戦では本塁ギリギリでアウトに追い込むスーパープレー。
デーブ・ロバーツ
- 1972年5月31日生まれ(現在53歳)
- ボストン・レッドソックス(ワールドシリーズ優勝:2004年)
Embed from Getty Images 2004年
ALCS第4戦、現役時代のデーブ・ロバーツの「足」が歴史を変えた瞬間。
現在ドジャースで監督を務め、2020年、2024年、2025年と優勝に導いたロバーツ自身はワールドシリーズではなく、その前のリーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)で躍動。
シーズン途中に移籍してきた控え選手は、ここで ”伝説” となり、レッドソックスの86年ぶり世界一という「バンビーノの呪い」を解く歴史的瞬間の影の英雄へと躍り出たのです。
バンビーノの呪い
1918年以降、レッドソックスがワールドシリーズで勝てなくなったのは、主力選手だったベーブ・ルースがライバルチームのヤンキースにトレードされたことが原因とされ「バンビーノの呪い」として語り継がれていた。
ヤンキースとのALCS第4戦、
3連敗と後がなくなった状況で、ロバーツは9回裏に代走として出場。
1点ビハインド(1点差で負け)の状況で見事に二盗を決め、次の打者のタイムリーで同点ホームを踏み生還。
崖っぷちに立たされたチームを救う起死回生の盗塁は、ワールドシリーズ4連勝逆転劇へのターニングポイントとなり、その一瞬のプレーが球団の歴史を大きく動かしました。
