こんにちは!
ちょっかんライフです。
今回も一人暮らしの直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げてまいります。
MLBでの2023年シーズン終了後、オフにFAとなって新天地をロサンゼルス・ドジャースに選んだ大谷翔平選手。
そこで待ち受けていたのが大谷のメジャーリーグ1年目をともにエンゼルスで戦ったひとりの人物、ディノ・エベル三塁コーチでした。
今回は、試合中継などでもその姿を目にすることの多いエベルコーチについての紹介記事です。
どうぞ最後までお付き合いください。
積み重ねてきたキャリア
ディノ・エベル氏のエンゼルス時代は、*マイク・ソーシア監督のもとで三塁コーチとベンチコーチを歴任。
それ以前には十数年の長きにわたってドジャースに在籍し、マイナーリーグで選手、そして選手兼任コーチ、監督の経験も積みました。
*マイク・ソーシア監督:選手時代はドジャース一筋でプレー。引退後、同球団のコーチやマイナー監督を務めたあと、2000年からエンゼルスの監督に就任。2018年に60歳を迎える年までチームの指揮を執った。ア・リーグ最優秀監督賞を2回受賞し、2021年に米球界殿堂入りを果たした名将。1958年11月27日生まれの 66歳。
それではエベル氏が実際に積み重ねてきたキャリアを、年代ごとにたどっていきます。
アマチュア・ベースボール時代
生年月日:1996/03/20(59歳)
出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州
身長:178cm
背番号:91
ディノ・エベル氏はドラフト全体365位での指名を見送り、フロリダ州レイクランドにあるフロリダ・サザン大学(Florida Southern College)に進学。
そこで大学野球を続け、1988年の「NCAAディビジョンⅡ」(全米大学体育協会(NCAA)3つの分類、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲのうち中級レベルに位置する競技部門)で優勝チームのメンバーとなりました。
ちなみにエベル氏の2人の息子さんたちも野球にかかわり、ブレイディくん、トレイくんともにWBSC U-15 野球ワールドカップに出場、アメリカ優勝を経験しています。
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1枚目が2022年当時15歳のブレイディくん、2枚目が2023年のトレイくん兄弟。
マイナーリーグでのキャリア
傘下チーム選手時代 1988-1994
大学卒業後、1988年からドジャースのマイナーリーグでプレーを開始したディノ・エベル氏。シーズン終了時にはルーキー級リーグの年間最優秀選手に選ばれます。
そしてユーティリティプレーヤーとして活躍したあと、1991年からはドジャース傘下で選手兼任コーチとして4シーズンを過ごすことに。
20代半ばにして早くも指導者としての資質が見込まれていたのでしょうか。
マイナーチームで指揮 1995-2004
さらにもう1年、選手兼任コーチに就くと1996年にはマイナーリーグで専任コーチとしてフルタイムで働くようになり、翌1997年からはチーム監督としてのキャリアをスタート。
その後も数々のチームを率いる中で、※ダブルAチームをリーグ地区優勝へと導くなど、2004年まで監督としての手腕を発揮しました。
※メジャーの下部組織マイナーリーグには階層順に最上位からAAA(トリプルA)>AA(ダブルA)>A(シングルA)>ルーキーリーグと複数のレベルが存在します。
メジャーリーグ・コーチとしてのキャリア
ドジャース組織に17年間在籍したディノ・エベル氏。いよいよメジャーリーグでの新たなステージが幕を開けます。
当時のエンゼルス球団のチーム状況とも併せて見ていきましょう。
エンゼルス 三塁コーチ時代 2005-2013
2005年、エベル氏はロサンゼルス・エンゼルスに移り、傘下のトリプルAチームでコーチとして着任。このシーズンを79勝65敗という成績に収めます。
2006年には長年コーチをつとめた*ジョー・マドン氏のレイズ監督就任が決まり、ここでエベル氏はメジャーリーグに引き上げられる形で三塁コーチとしてコーチングスタッフに任命。
勢いがあった頃のエンゼルスをフィールド上で支え、2007年、2008年と2年連続の地区優勝に貢献しました。
*ジョー・マドン監督:2021年、エンゼルス復帰後の監督時代に大谷翔平の投打両方を許可すると発表し、ツーウェイプレーヤーとして先発投手を初めて打席に立たせた、あの監督です。ア・リーグ最優秀監督賞2回、ナ・リーグでも同賞を1回受賞した現代アメリカ球界を代表する知将名将のひとり。1954年2月8日生まれの71歳。
2009年は将来有望な球団トッププロスペクト、ニック・エイデンハート投手に期待がかかっていたのですが開幕から間もない4月の登板後、飲酒運転中の悪質ドライバーの巻き添えとなる事故に遭い逝去。
このシーズン、西地区優勝を果たしたあと選手たちは全員で同選手のモノクロ写真にタッチしに行き、シャンパンファイトでは彼のユニフォームにもシャンパンをかけ喜びを分かち合いました。
ポストシーズンでは、リーグチャンピオンシップシリーズでヤンキースに敗れワールドシリーズ進出はなりませんでしたが、1人あたり約138038ドル(当時で約1270万円)のプレーオフ分配金をエイデンハート投手にも贈っています。
Embed from Getty Images 2009年
エンゼルスの三塁コーチ時代、当時42歳。
またエンゼルスはシーズンオフにヤンキースからFAとなった松井秀喜選手を獲得。エベルコーチは同選手と2010年の1シーズンをともに過ごしました。
Embed from Getty Images 2010年
走塁中の松井選手をハイファイブで待ち受け。
エンゼルス ベンチコーチ時代 2014-2018
2013年10月に入り、エベル三塁コーチは解雇された前コーチの後任として次シーズンからベンチコーチに就任。
新たな職務に就いて臨んだ2024年、チームは5年振りとなる地区優勝を決めています。
Embed from Getty Images 2015年
デビューから5シーズン目のトラウト(右)とダグアウトにて。当時49歳
2016年、エンゼルスは球団名を「ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム」から創設時の名称「ロサンゼルス・エンゼルス」に戻すと正式に公表。
そして同球団は2017年シーズンオフ、NPB(日本プロ野球)からポスティングシステムでMLB挑戦を目指した大谷翔平選手獲得に成功します。
Embed from Getty Images 2016年
当時50歳。
2018シーズンは、それまで三塁コーチだったロン・ロエニケ氏(現ドジャースGM特別補佐)がレッドソックスのベンチコーチに採用され、別の新任者がベンチコーチに任命されたことを受け、エベル氏は三塁コーチの役職へと復帰。
そこでもうワンシーズンを大谷選手とも過ごしたのです。
ドジャース時代 2019-2025現在
2018年11月の終わり、ドジャースが2019年シーズンのメジャーリーグコーチングスタッフを発表。
そのリストにはディノ・エベル氏が三塁コーチとして同球団に復職することが含まれていました。
こうしてレンジャーズの新監督就任が決まったクリス・ウッドワード氏(現ドジャース一塁/内野コーチ)と入れ替わるかたちで同職に就いたエベル氏。
ウッドワード氏についての記事はこちら。
下記写真はエベル三塁コーチがドジャースに戻った年、2019年に行われたオールスターゲーム前のワークアウト・デーで、エンゼルスのトラウト選手と再会した時のひとコマ。
当時53歳のエベルコーチと新人デビュー時からずっと一緒に歩んできたトラウトとの関係性が、微笑ましさを通り越して、なんだか痛いほど伝わってくる素敵な一枚ですよね。
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マイク・トラウトとの再会シーンがグッとくる。
2025年シーズンも日々フィールドに立ち、三塁コーチとしての職務を全うしようとしています。
Embed from Getty Images 2025年
3月に59歳を迎えた現在。
ワールドベースボールクラシックチームUSA
Embed from Getty Images 2023年
前回は野球コミッショナーのロブ・マンフレッド氏から銀メダルが授与された。
ーー最後にWBCの話題についても少しだけ触れておきます。
前回2023年のWBCでアメリカ代表チームの三塁コーチとして、大谷 対 トラウトの両雄対決を間近で見届けたエベルコーチ。
のちのインタビューでも、まさに歴史的瞬間を目の当たりにする体験だったと述べています。
「まるでシネマのよう。すべての観衆が立ち上がり、今まで聞いた中で一番大きな歓声に身震いした。これが世界最高の選手たちが対決する大会かと。本当にスペシャルだった」
十数年のコーチ歴を誇るエベル氏をもってしても経験がないほどの熱狂ぶりだったといいます。
そして来年、WBC2026では2大会連続となるチームUSAの三塁コーチに任命されたディノ・エベル氏。
彼と縁の深い両選手の対決が再び実現するのか…そちらも今から楽しみです。