こんにちは!
ちょっかんライフです。
日常のなかで、直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げるページーー。
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プレーオフ第3戦、モーリー・ウィルスがMLB史上初104盗塁目を決めた瞬間。
ルーツは東海岸?時代を超え熱狂を呼ぶ因縁の歴史
ジャイアンツとドジャースの対決は、野球の世界でも特に長く続いてきた名物カード。
2つのチームはなんと1889年から競い合っていて、東海岸を原点に西海岸へと舞台を移しながら、たくさんのドラマや名場面を生み出してきました。
今回は、
130年以上にわたり築かれてきた、球界屈指の宿命の対決とその歴史に迫ります。
それではご一緒に辿っていきましょう。
NYからLAへ!伝説が刻まれたライバル対決5選
天国と地獄が入れ替わった瞬間
1951年10月3日
ナ・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズ(NLCS)
Embed from Getty Images 1951年
物語のような幕切れにジャイアンツファンが一斉に場内に押し寄せトムソン選手を胴上げ。
ドジャースとジャイアンツ両チームの因縁は、どちらも100年以上も前、ニューヨーク(NY)で生まれたことに始まります。
その東海岸時代のライバル関係が最高潮に達したのが、1951年のナ・リーグ優勝争い。
のちに ”奇跡の大逆転劇” と呼ばれるほどのドラマとなったシリーズでの一戦。
この年、8月11日時点でジャイアンツはドジャースに13.5ゲームも引き離されていました。
普通なら絶望的な差ですが、そこからジャイアンツは怒涛の追い上げを見せ、ついにドジャースに追いつきます。
そして優勝をかけた3試合のプレーオフへと突入。
決戦の第3戦、
ジャイアンツは2点ビハインド、あとアウト3つでシーズン終了、誰もがドジャースの勝利を確信していました。
と、ここで野球史に残る瞬間が生まれます。
9回裏、ジャイアンツのボビー・トムソンが、起死回生の逆転3ランホームランを放ったのです。
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歓喜に沸くジャイアンツファンは紙吹雪を散らし狂喜乱舞。
その局面に、ジャイアンツ専属アナウンサーのラス・ホッジスは4回も同じフレーズを繰り返し絶叫。
「ジャイアンツが優勝!ジャイアンツが優勝だ!“The Giants win the pennant! The Giants win the pennant! The Giants win the pennant! The Giants win the pennant!”」
この名実況とともに、このホームランは「世界中に響き渡った一撃 “The Shot Heard ’Round the World”」
として語り継がれることになりました。
球史に語り継がれる一大事件
1965年8月22日
レギュラーシーズン(公式戦)
西海岸時代は1958年に始まりました。
ジャイアンツとドジャースはニューヨークを離れ、それぞれサンフランシスコとロサンゼルスに移転することを決定。
両者の対立は、時に野球の枠を超えてしまったこともーー。
中でも最も有名で、最も激しかった事件が、この日の ”マリシャル vs ローズボロの乱闘”。
舞台はかつてのサンフランシスコ本拠地、キャンドルスティック・パーク。
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球界の歴史を揺るがすほどのカオスと化した…その発端とは?
ジャイアンツのエース、フアン・マリシャルと、ドジャースの伝説的投手サンディ・コーファックスが投げ合う緊迫のゲーム。
両投手は互いの打者に対し、威嚇球を投げ合い、すでに空気はピリピリモード、
そして3回裏、マリシャルが打席に立ち、コーファックスと対峙します。
その際、ドジャースの捕手ジョン・ローズボロの投げた返球が頭部をかすめたとして、
マリシャルが激高、あろうことかバットでローズボロを殴りつけ、キャッチャーは流血、
両軍入り乱れての大乱闘が14分間も続く大事件へと発展したのでした。
マリシャルは重い処分と罰金を受け、この騒動は因縁の象徴として世代を超え伝えられることに。
Embed from Getty Images さらにマリシャルはコーファックスにバットを振りかざし、殴打されたローズボロは引き離される。
ところがーー、
時が経つにつれ2人は和解し、むしろ深い友情を築き上げたとされました。
2002年、ローズボロの葬儀ではマリシャルが名誉棺担ぎを務めたほどです。
マンシーの一発に投手がブチ切れた日
2019年6月9日
レギュラーシーズン(公式戦)
ジャイアンツの象徴として君臨し、2014年のワールドシリーズでは一人でチームを世界一に導く歴史的快投を見せたマディソン・バンガーナー。
彼はメジャーでも絶滅危惧種となった、オールドスクール(古き良き伝統)を体現する選手。
派手なパフォーマンスを嫌い、打者の確信歩きやあからさまな感情表現には、野球へのリスペクトに欠けると厳しく律する、まさに球界の風紀委員のような存在。
そのストイックなまでの信念が、ドジャースとのライバル関係において何度も火種となってきました。
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1回に登板したジャイアンツのサウスポー、マディソン・バンガーナー。
そしてこの日、因縁の一戦に新たな火をつけたのがマックス・マンシーとの一触即発バトル。
20代後半でブレイクし、勢いに乗るドジャースのパワーヒッターが放った424フィート(約129m)の特大場外アーチは、そのままマッコビー湾へ着水。
打球をゆっくり見送ってから歩き出したマンシーに、バンガーナーがブチ切れます。
「ボール眺めてないで、さっさと走れや!」
すかさず言い返すマンシー。
打球を見られたくないなら、あの海から引き上げてくるんだな。“If he doesn’t want me to watch the ball, go get it out of the ocean.”
この痛烈な返しは後にTシャツになるほど、ドジャースファンの間で人気の名言となっています。
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ソロホームランを放ち、ゆっくりベースを回るマンシー。
逃した相手に見事やられた夜
2024年5月14日
レギュラーシーズン(公式戦)
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大谷が放ったのはオラクル・パークの最深部を越える超特大ホームラン。
ゲーム当日、サンフランシスコのオラクル・パークは、試合前からざわついていました。
理由はただひとつ、
オフにジャイアンツが全力で獲得を狙った大谷翔平が、ついに敵としてこの球場に立ったからです。
そしてこの巡り合わせは、わずか数時間で決定的決着をもたらすことに。
4回、大谷の打球は、右中間の超深いエリアをぶち抜く446フィート(約136m)の特大弾。
ESPNは「オラクルで約2年ぶりの最長級 “the longest home run at Oracle Park in nearly two years”」と報じ、
ロバーツ監督は「あの方向にあれだけ飛ばせるのは、ボンズくらいだ」と語りました。
さらにこの日は、
の3安打、あと三塁打が出ればサイクル達成という無双ぶり。
試合もドジャースが10–2で勝利し、圧倒的な力を見せつける形となりました。
欲しかった選手に、本拠地で完璧にやられる…、この夜こそ、大谷 vs ジャイアンツという新時代の因縁が始まった瞬間だったのです。
ドジャーブルーに染まったサンフランシスコ
2025年7月13日
レギュラーシーズン(公式戦)
19世紀から続く137年に及ぶ宿命対決ーー、5つ目に紹介するのは、昨季7月のカード最終戦。
その試合の2日前、ドジャースは大谷のスプラッシュ・ヒット(海への場外弾)で一度は逆転、
執念で1点差(8-7)まで追い詰めたものの、8年ぶりとなる泥沼の7連敗を喫していました。
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ドジャースは2年目の右投げ投手、山本由伸。
そして迎えた3戦目、山本由伸投手が先発し、ジャイアンツのロビー・レイ投手と緊迫した投手戦を展開。
両者の好投から延長戦でもつれる、手に汗握る死闘へ。
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ジャイアンツ先発は、左腕ロビー・レイ。
この日の由伸投手は、敵地オラクル・パークの冷たい海風が吹く中、
1950年代のドジャース・エースを彷彿とさせるような堂々たるマウンドさばきで、ライバル打線を翻弄。
しかし、2-0とドジャースリードの9回裏、
ジャイアンツのルイス・マトスが絶体絶命からの2ランを放ち、場内は爆発的な歓喜に包まれます。
最終回で同点に追いつかれ、球場全体が「ジャイアンツ逆転サヨナラか!」と沸き立つ直後の延長11回。
絶望的な空気の中で打席に立ったのがフレディ・フリーマン。
彼はこの時、指の負傷を抱えながらの強行出場でしたが、意地で均衡を崩す勝ち越しタイムリーヒット。
続くT・ヘルナンデス、アンディ・パヘスにもタイムリーが飛び出す呼び水となりました。
Embed from Getty Images 延長11回、フリーマンが待望の勝ち越し点。
そして何よりこの日の試合、延長戦に入りひときわ異様さを増したのが観客席の光景。
本来、ジャイアンツの本拠地はオレンジ色に染まるはずですが、この日は遠征してきたファン(ドジャース・パントーン294と呼ばれる有名な応援団など)がスタンドの大部分を占拠、
ビジター球場をドジャー・ブルーで埋め尽くし、「レッツゴー・ドジャース!」の地鳴りのような大歓声が響き渡る事態に。
これぞまさしく、かつてニューヨークの街を二分して争ったブルックリン時代の熱狂そのもの!
山本が作り、フリーマンが救い、ファンが敵地をジャックした伝説の日となったのでした。

