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【画像】今も輝く中田英寿!キャリアで見る一貫した自分スタイルと影響力

エンタメ

こんにちは!

ちょっかんライフです。

今回も一人暮らしの直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げてまいります。

1998年のフランス大会で初めてFIFAワールドカップに出場を果たしたサッカー日本代表。

日本中が興奮に沸き返ったW杯からほどなくして、イタリア・ペルージャを本拠地とするプロサッカーチーム「A.C.ペルージャ(当時)」会長が、弱冠21歳の日本人・中田英寿選手の獲得を発表。

同年秋、′ナカタヒデ′ は鮮烈のセリエAデビューを飾りました。

当時から本業のサッカーでの活躍にとどまらず、ファッショニスタとしても注目を浴び影響力を発揮。
加えて現役を退いたあとは、独自の視点とユニークな発想で革新的な事業を展開してきた中田英寿さん。

本記事ではそんな彼にフォーカスし、昔から変わらない輝きと今もカッコいいその姿を画像・写真から振り返ります。

どうぞ最後までお付き合いください。

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日本サッカー ”海外組” の先駆け

その時代、アジアの選手などほとんどいない中での海外移籍ーー。

1998年9日13日、中田英寿選手は名門ユベントスとのデビュー戦で2得点をあげ、一躍脚光を浴びます。

海を渡っても自らのスタイルを貫き、味方からボールを奪ってでも点を取りにいく。
的確な指示が出せるようイタリア語もマスターして、ゲーム中はチームメンバーとも平然と喧嘩ができる…..。

そんな度胸のあるクレバーさも大きな魅力でした。

Embed from Getty Images 1998年9月13日。
セリエA衝撃のデビューとなった伝説の一日、取り巻く報道陣

2006年6月ドイツW杯で日本代表としてフルで戦い、ブラジル戦を最後に29歳で現役を引退。

Embed from Getty Images 2006年6月22日。
試合終了後、顔をタオルで覆ったままセンターサークルで仰向けに倒れ込む姿がファンの胸を打った

イタリアでプレーした初の日本人選手といえば、間違いなく ’キングカズ’ こと三浦知良選手。
ただ、その後に続く道を切り開いたのは、カリスマ性を備え先駆者としての足跡を残した中田英寿選手と言えそうです。

Embed from Getty Images 2022年11月。
FIFAワールドカップドイツ戦、レジェンド2人が並んだ観戦姿が話題に

ファッショニスタとしての一面

国際人の一員として自らヨーロッパサッカー界の門戸をたたいた中田英寿さんですが、ファッションに関しては、もはやグローバルレベルのセンスの持ち主。

自分流に着こなす天性のスタイルは選手時代から、特にヨーロッパのファッション界や業界関係者の間ではよく知れ渡っていたほどに有名。

2004年、イタリア人の写真家で現ICONチーフエディターのアンドレア・テネラニ氏は、『旧インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙のインタビューで、中田英寿さんについて「モデルのように完璧、かつ*ファッションコンシャス」と評しました。

*ファッションコンシャス:流行に敏感な ′おしゃれさん′ の意

2006年発行の『ニューヨークタイムズ』紙の記事でも、当時カルバン・クラインでメンズのクリエイティブディレクターを務めていたイタロ・ズッケーリ氏が「遊び心あふれるファッションながら、他の誰よりもずっとシックで洗練されている」と絶賛しています。

Embed from Getty Images 2006年9月。
ミラノコレクション「Versace(現ヴェルサーチェ)」 – フロントロウ
Embed from Getty Images 2010年4月。
クラレンス・セードルフ主催、ミラノのお城で開催の「チャンピオンズ・フォー・チルドレン」第1回ガラ
Embed from Getty Images 2011年1月。
ミラノコレクション「DSquared2」A/W 2011 – ファッションショー

そして、のちのASローマ在籍時代から長きにわたりベストな関係性を築いてきたルイ・ヴィトン。

毎シーズンのコレクションでは必ずフロントロウに着席する姿がキャッチされています。

Embed from Getty Images 2017年6月。
「Louis Vuitton 春夏コレクション2018」隣は元NFLのビクター・クルーズ – Front Row

生粋のコスモポリタン

2007年、国連プログラムへの協力やサッカーを通じた社会貢献が高く評価され、世界で16人目となる『FIFA(国際サッカー連盟)親善大使』に就任。

Embed from Getty Images 2007年12月。
FIFAメディア・カンファレンス。ブラッター会長と固くシェイクハンド(握手)

2017年、39歳のとき競技規則を定めるFIFA国際サッカー評議会(IFAB)の諮問(しもん)委員に選任。元選手らで構成される諮問機関の一員として規則改正などについて助言する立場へ。

Embed from Getty Images 2017年10月。
「ザ・ベストFIFAフットボールアウォーズ」ステージ・プレゼンター

プロのサッカー選手を引退してからは、世界をめぐる旅に出た中田英寿さん。

2009年には、世界各地で実施するスクールやチャリティーなど、サッカーを通じた社会貢献プロジェクト・一般財団法人『TAKE ACTION FOUNDATION』を設立。

Embed from Getty Images 2010年6月。
南アフリカ・ソウェトの小学校で ′1Goal School′ 実施し子ども達と交流

同年「日本の伝統文化を学びたい」と、国内47都道府県を回り探究する旅を開始します。

そして2015年、株式会社『JAPAN CRAFT SAKE COMPANY』を設立。日本酒・日本茶・工芸品など伝統産業の普及活動および魅力発信をスタート。

Embed from Getty Images 2015年1月。
①『Revalue NIPPON Project(リバリュー ニッポン プロジェクト) 』プレスカンファレンス
Embed from Getty Images 2015年1月。
②『Revalue NIPPON Project(リバリュー ニッポン プロジェクト) 』プレスカンファレンス

FIFAや国際的なプロジェクトに携わる一方で、ときにミラノ・ファッションウィーク真っただ中のイタリアに飛びフォトコールに応える姿もあったりして…まさにコスモポリタン

Embed from Getty Images 2017年6月。
ミラノFashion Week「Dolce & Gabbana春夏2018」 – フォトコール

こうして世界を股にかけ、次いで日本全国を巡って深めたナレッジと練磨された無二のセンスがまたまた評価されることに。

2024年には10月1日付で、上場企業としてPRマネジメントを手掛ける株式会社『サニーサイドアップグループ』の執行役員エグゼクティブオフィサーに就任しています。

Embed from Getty Images 2024年10月1日。
ビジネスでの役職就任と同日に、パリで開催中の「ルイ・ヴィトン」コレクションでその姿を発見!

2025年に入ってからも、輝き続けるその存在を周りが放っておかない!

イタリアの高級スポーツカジュアルブランド 『ストーンアイランド(Stone Island)』が、ブランドキャンペーン「COMMUNITY AS A FORM OF RESEARCH」を公開。

中田英寿さんは、第1弾キャンペーンヴィジュアルに起用されました。

引用元:stoneisland

まとめ

今回は元サッカー日本代表であり、その後のインターナショナルな活動でも知られる実業家・中田英寿さんにスポットを当て、彼の輝かしくも比類ない歴史を【画像】で振り返りました。

「好きなことを人生を掛けてやる」というスタンスからは、アスリート時代もビジネスの世界でも、さらにはファッションスタイルひとつ取ってみても、根底に終始一貫した潔さが感じられます。

これからも他にはない、オンリーワンな彼の活動から目が離せません。

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