こんにちは!
ちょっかんライフです。
今回も一人暮らしの直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げてまいります。
ジローラモさんといえば、イタリアの伊達男代表(?)としてモデルにタレント、コメンテーターまでこなし、車やサッカーにも造詣が深くエッセイストしての顔も持つ多彩な人物として有名。
SNSなどでも影響力を発揮し幅広くマルチに活躍していますよね。
最近では華やかな世界とはまた別に、福島県で無農薬・無化学肥料の米づくりに取り組んでおり、栽培の様子はYouTubeチャンネルで観ることができます。
その取組みは本格的なもので、2023年からは会津美里町の観光大使としても活動中。
ここへきてまた一つ、新たに情熱を傾けられるライフワークを見つけたようです。
本記事では、ジローラモさんの愛妻家で愛犬家の一面や意外な素顔を、私生活が垣間見える画像・動画、過去のインタビューなどから探っていきます。
どうぞ最後までお付き合いください。
名前が知れ渡るまで
パンツェッタ・ジローラモさんは、1962年南イタリアのカンパニア州アヴェッリーノ郊外、ヴィッラノーヴァ・デル・バッティスタ(Villanova del Battista)というコムーネ(基礎自治体)の生まれ。
父親は、政府からの受託で高速道路や港湾の船着き場といった大事業を手掛ける建設会社を経営していましたが、彼が14歳の時に他界しています。
16歳で地元の強豪サッカークラブに所属し活躍が期待されたものの、怪我により選手生活を断念。
その後、ナポリの大学で歴史的建造物の修復を学んでいた1980年、イタリア南部でマグニチュード6.9の大地震が発生。
中世の教会が崩壊したり建物の倒壊が相次ぐなど各町村が深刻な被害を被る中、ジローラモさんは専門知識を有するメンバーとして地域の復興に貢献することができたそうです。
それからのち、イタリアの大学は卒業することなく中退しましたが、来日後に明海大学経済学部に入り卒業。
NHK教育テレビ(Eテレ)の『NHK外国語会話 イタリア語会話』に出演したことで、日本人ウケのする「典型的イタリア人」として名が知られるようになっていきました。
Embed from Getty Images Getty images ~2006年「ちょい不良(ワル)オヤジ」でブレークした頃~
そこから雑誌モデルやインタビューの仕事、シック・ジャパン(男性用シェービング製品)CMへの起用を機に、お昼のバラエティ『笑っていいとも!』に呼ばれて出演。
番組内のコーナー企画 ”いいともちょい不良(ワル)オヤジコンテスト”で一躍脚光を浴びます。
若いだけでは醸し出せない、またイタリア人特有のセクシーな魅力は、2001年の男性ファッション誌「LEON」創刊号の顔となり、それ以後20年以上にわたって表紙を飾る足掛かりとなりました。
girolamo.me
~2024年「LEON 8月号」表紙を飾る~
そして年齢を重ねるごとにcoolさが増してきたジローラモさんは、同じモデルが連続でファッション誌の表紙に抜擢され続けるギネス記録を今現在も更新中です。
運命的な出逢い
パンツェッタ・ジローラモさんは1988年、のちに料理研究家の道に進む谷澤貴久子さんと結婚。
1986年、当時多摩美術大学日本画科を卒業したばかりの貴久子さんは、陶磁器を学ぶためイタリアへと向かっていました。
その機上、偶然にも隣の座席に乗り合わせたのがジローラモさん。
この運命的な出逢いについて、過去に貴久子さんは「目的地に着くまでの間、ジロー(ジローラモ)さんは隣席でずっとしゃべりっぱなし…楽しい人だなというのが第一印象」と明かしています。
美術留学先のフィレンツェに滞在していた貴久子さんと、ナポリに住まいを構えるジローラモさん。
瞬く間に惹かれ合った二人はまもなくフィレンツェ/ナポリ間で遠距離恋愛をスタートさせます。
ジローラモさんは毎週末、貴久子さんのもとへ通いつめたといいますから何ともドラマティック。
さらに加えて映画の世界のような展開が・・・。
貴久子さん
私がホームシックになっていた頃、ジローさんの呼ぶ声がして2階の窓から外を見たら大きな犬が彼の足元でジャレている光景が飛び込んできて…。一人では寂しいだろうとマレンマ種の仔犬を連れてきたんです。
その後、貴久子さんはジローラモさんのいるナポリに移り、国立・カポディモンテ磁器学校の給費留学生となってポーセリン(磁器 じき)作製技術を習得しました。
やがて留学生活も終わりに近づき貴久子さんの帰国の時期が迫ると、ふたりはお互いに結婚を決意。
イタリアで形式的な結婚手続きを済ませると、日本に帰ってから挙式へ。
ジローラモさんと貴久子さんが飛行機のなかで、導かれるように出会って2年後のことでした。
妻となったパートナーはどんな人?
結婚した1988年から日本に移住しているジローラモさん。
何事にも前向きで好奇心旺盛な彼は、来日当初、貴久子さんの父親の仕事を手伝いながら大学で日本語を身につけます。
その2年後には、前述したNHKのイタリア語番組オーディションに合格。
持ち前の明るいキャラクターに流暢な日本語、軽妙で洒脱な雰囲気はニュータイプの男性像を世に広め根付かせました。
そしてジローラモさんへの注目は、妻である貴久子さん自身にも向けられるようになっていきます。
次第に夫が書く文章の翻訳を任され、メディアを通じてイタリア文化を紹介するオファーにも対応していくように・・・。
なかでも、貴久子さんの才能が大きく花開いたのが「食」に関するジャンル。
ジローラモさんの母直伝 ”マンマの味”に刺激を受け、イタリア家庭料理教室の主宰や、レシピ本の出版、2000年にはイタリア文化功労者としてヴェローナ市より「ジュリエッタ賞」が贈られるまでになったのです。
東洋人として初の受賞でしたが、美大出身なだけあってクリエイティブなセンスと才能に満ち溢れた人ということを改めて実感できるエピソードですね。
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~そのうち、人間のみならず愛犬と楽しむ複合型リゾートでワンちゃん用レシピも公開~
doggys_island_official
~当時、同リゾートのイベント会場にはジローラモさんとPerlaちゃんも連れ立って下見に~
パンツェッタ家の家族構成
貴久子さんのイタリア留学でのサプライズ以来ずっと、パンツェッタ家にはいつも愛犬たちの存在がありました。
kikkopanzetta
~2019年イタリアンクッキーで秋のお茶会、抱っこされているのはトイプードルのビンバちゃん~
「kikkopanzetta」名義でKikko & Perla + sistersとサブタイトルの付いた貴久子さんのインスタ(Instagram)には歴代のかわいいワンちゃんたちがあちらこちらに登場。
現在は、ホワイトボクサーの女のコ、イタリア語で「真珠」を意味する愛犬Perla(ぺルラ)ちゃんの写真や動画で埋め尽くされています。
kikkopanzetta
~2019年7月投稿、ブリーダーさんから引き取った日の唯一の写真なのだそう~
Perla(ぺルラ)ちゃんは2014年からパンツェッタ家のファミリーとして迎え入れられたコ。
kikkopanzetta
~2023年動物病院から帰宅、検査結果に安堵しPerlaちゃんを抱きしめるkikkoさん~
ーーそれから約10年が経過した2024年。
11月にアップされた貴久子さんのインスタには、このところ足元がおぼつかなくなってきたPerla(ぺルラ)ちゃんの肢(あし)代わりとして活躍してくれそうな「犬用車いす」が紹介されていました(ガンバレPerlaちゃん‼)。
夫妻の中心にある絆
ジローラモさんのInstagramフォロワー数は2024年2月時点で231.2万人だったのが、12月には250.2万人まで増加。
更新ごとにストーリー性が感じられ、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのようなスタイリッシュな画像・動画で溢れています。
以前から、私生活が察せられるようなフィード投稿は少なかった印象ですが、過去をさかのぼってみたところ貴重な写真を発見。
閉塞感漂うパンデミックの頃、ジローラモさんが愛犬Perla(ぺルラ)ちゃんと一緒にくつろいだ様子で散歩しているところを撮った一枚。
まったり、のんびりとしたひとときがうかがえる和み(なごみ)のファミリーショットです。
girolamo.me
~2020年5月中旬、お散歩途中のひとコマ~
お次は、貴久子さんのInstagram「kikkopanzetta」から。
2021年『夏の思い出』と題された、海辺を歩く男性(たぶんジローラモさん)と愛犬(たぶんPerlaちゃん)のシルエット。
遠目に映るふたりの写真からは、家族とともに刻むなにげない体験こそ、いかにかけがえのないものであるかが伝わってくるような気がしてきます。
kikkopanzetta
~2021年夏の思い出とキャプションが打たれた投稿から~
ジローラモさんと貴久子さんカップルの中心には、いつも家族の絆を結ぶ愛犬の姿があったのです。
最後に・・・
今回は、ジローラモさんの私生活について色々と探ってみました。
貴久子さんの投稿記事には他にも紹介しきれないほど、ジローラモさんを思わせるPerla(ぺルラ)ちゃんを抱っこする後ろ姿や、体にやさしく手を伸ばすカットがあったりして、見ている側をホッコリ温かく包み込んでくれます。
あと数年が経過し”ちょい不良(ワル)おやじ”の称号を返上する時が来たら、ジローラモさんと貴久子さんのツーショットを目にする機会も訪れるかもしれませんね。
これからも素敵なパンツェッタ家を築いていってほしいと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。