和田誠平野レミ結婚のいきさつから長男唱が受け継ぐスピリット!強い絆のヒケツまとめ

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こんにちは!

ちょっかんライフです。

今回も一人暮らしの直観レーダーにピピピッと引っかかったアレコレを取り上げてまいります。

強い絆で結ばれたカップルの代表格

大切な人と生涯を共にするには、相手と強い絆で結ばれたいと思う人は多いですよね。

有名人や著名人のなかにも、いつまでも仲がよく素敵なご夫妻がいらっしゃいます。

そんな絆が強いふたりとして思い浮かぶのが、2019年に他界したイラストレーター和田誠さんと、今も料理愛好家として活躍中の平野レミさんご夫妻。

世間の多くが憧れ、羨ましいと感じさせるカップルには一体どのような歴史があるのでしょうか?

そこで今回は、和田誠さんと平野レミさんの運命的な出逢いを紐解き、絆を深めるための秘訣をまとめました。

どうぞ最後までお付き合いください。

和田誠(わだ まこと)PROFILE
1936年生まれ。グラフィックデザイナー、
イラストレーター。
1959年に多摩美術大学卒業、
ライトパブリシティに入社。1968年からフリー。
1977年より「週刊文春」の表紙を担当。
1984年に映画「麻雀放浪記」を初監督。
4本の監督作品がある。
ブルーリボン賞監督賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、
日本漫画家協会賞特別賞ほか、受賞多数。
出版した書籍は200冊を超える。

2019年10月逝去。

平野レミ(ひらの れみ)PROFILE
シャンソン歌手。料理愛好家。
祖父は日本美術史家で法律家サンフランシスコ日米協会初代会長ヘンリイ・パイク・ブイ。
フランス文学者の平野威馬雄氏の長女として東京に生まれる。
自称「料理愛好家」。
”シェフ料理”ならぬ”シュフ料 理”をモットーに、テレビ、雑誌を通じアイデア料理を発信。
講演会、エッセイ等でのライフスタイルを提案。
特産物を使った料理で全国の町おこしなどに参加し好評を得る。
著書は50冊以上。

ふたりの馴れ初め~結婚のいきさつ

平野レミさんはシャンソン歌手としてレコードを出す前に、まずは先に名前を売ろうとする当時のレコード会社の方針で流行歌を歌っていた時期があったそうで。

あるときTVの音楽番組への出演が決まり、いざ歌おうとしたとたん突然声が出なくなってしまったレミさん!

バック演奏者に向かっておもむろに「待って!最初っからやり直して!最初っから!」とストップをかけてやり直そうとする様子が生放送されます。

その番組をたまたま観ていたのが和田誠さんで、目にする展開に「おもしろい歌手がいるなぁ」そんな印象を抱いたのでした。

ーーそれから1年後

平野レミさんは念願のシャンソン歌手としてデビュー。

TBSラジオ「それ行け!歌謡曲 ミュージックキャラバン」に抜擢され出演するようになると、久米宏アナウンサーとの予測不能な掛け合いが話題となり、一躍人気者となっていきます。

久米宏さんと和田誠さんはもともと麻雀仲間だった間柄から、ある日、和田さんは久米さんに「一緒にやってる平野レミってのをぼくに紹介して」と頼むのですが、一言のもとに却下されてしまいます。

「ぼくが”あんな女”を紹介したならば、和田誠さんは人生を棒に振りますよ」

笑っては失礼と思いつつも…あまりに面白エピソード過ぎやしませんか?!(笑)

けれども、これにはつづきがあってそのあとのお話が泣けてくるのです。

久米宏さん経由でのアプローチが失敗しても、和田誠さんは引き下がりませんでした。

何らめげることなく和田さんは突き進みます。

そしてTBSの別の人に再度お願いしたところ、依頼を受けた人からはまたしてもこのような返答が…

「紹介してもかまわないけど、ぼくは責任持ちませんよ」

平野レミさんを取り巻く周囲の反応などモノともせず、和田誠さんは「責任持たなくていいから紹介して」と重ねてプッシュ!やっと連絡をつけてもらったというのがいきさつのようです。

和田誠さんはすでに、音楽番組でしぐさのチャーミングな面白歌手を一目見た瞬間から1年かけてレミさんを追ってきたのでしょうね!

和田誠さん亡き後、2023年のインタビューの中で平野レミさんがとっておきのエピソードを披露していました。

ーーTBSの人の紹介を受けてから、わずか1週間ほどでお二人は結婚するのですが、その間レミさんはほぼ毎日和田さんの部屋に立ち寄っては色んな面白い話をしてくれるのを楽しみにしていたといいます。

そして和田誠さんが亡くなったあと、当時のそのお付き合いとも呼べない短い期間中、和田さんがレミさんが帰ったあとにひとり、部屋で過ごす心情を歌った楽譜が出てきたそうなのです。

いたずら猫の絵本 のんびりめくる ロッキングチェア ひとりだけのパラダイス 私の部屋
ビデオは5泊6日 あさってあたり見よう 気ままに暮らせばいつも 気分は日曜
だけどちょっぴり寒い あなたが帰ったあと 小さな部屋も広い ひとりだけだと
ラジオがそっと流す明るい恋のメロディ
鏡の中の私 ちょっとにっこり

クゥ~…和田誠さんが、このころからもう平野レミさんと結婚すると決めていたとわかる、恋する切なさと浮き立つ心が交錯するみずみずしい愛の詞ですね。

個の世界をお互いが持ち尊重し合うことの大切さ

ここで、なぜ平野レミさんが結婚後に、自称『料理愛好家』としての道を歩むことになったのかがとても理解できる逸話があります。

これは、ちょっと考えさせられるお話なのでぜひ皆さんにもご紹介したいと思います。

ーー和田誠さんと結婚して半年ほどが経った頃、突如平野レミさんは思い立ち日記を書き始めました。

和田さんと出逢ったことで今まで全く知らなかった未知の扉が開かれ、別次元のような新しい人生を踏み出したはずのレミさんでしたが、ある一つの揺るぎない真実を目の当たりにし夢中で綴ったのです。

結婚とは一心同体になるもんだと思っていたら、とんでもなかった、大間違いだ。
仕事のときの和田さんのまわりにはものすごい壁があって、私はどうしても入れない。

和田さんはそんな世界を自分で持ってるんだから、私も自分の世界を持たないと大変だ

信頼し心から尊敬する人が、自分には捉えることのできない個としての世界を持っていて、たとえそれが人生のパートナーであったとしても決してその領域には立ち入れないと悟ったときの圧倒されるような感覚。

何か新しいモノを世に生み出す宿命を持ったアーティストや表現者、クリエイティブを生業とする相手を人生の伴侶とした人間が突き付けられる避けようのない現実。

このビクともしない壁を前に、立ち止まらず、閉じこもらず、踵を返さず、どう動くかで、その後の絆の強さが決定づけられていくのではないでしょうか。

平野レミさんは最初にガツンとショックを受けつつも、じゃあ私もがんばらなきゃとすぐに前を向き、ここからただひたすらに料理の道を歩み始めたからが拓けたのです。

もしも和田誠さんが、仕事を通して自分の世界観を最大限表現し、家庭の匂いのするプライベートとは切り離したところで一切の妥協なく突き詰める世界も大事にする人でなかったら、レミさんは料理をやっていなかったとも語っていました。

料理愛好家としての一歩を踏み出した平野レミさんに対し、その後いかなる時も和田誠さんはこのうえないやさしさで支え、余すことなく応援し続け、協力を惜しまなかったそうです。

レミさんが新婚早々で得られた気づきと自らが選択し辿った道はとても尊く、途中折々でいつも必ず手を貸し、を引き上げてくれた和田さんは限りなくあたたかい。

しなやかで強靭な反骨精神

和田誠さんはプロフィールにもあるように、多摩美出身です。

大学に入った当時は、近代日本のグラフィックデザイン史を築いた杉浦非水らのことを批判する一面もあったといいます。

そのころすでにレガシー化していた先生方についての評ですから、画家の横尾忠則さんの言葉を借りれば、「そんな反骨精神・批判精神が10代ですでに備わっていたとは偉いな」となります(笑)。

平野レミさんが知る、家庭ではニコニコ笑顔を絶やさず日常で声を荒げることのなかった和田誠さんでしたが横尾さん曰く、彼に近しい周囲に話を聞いてみると怒られた人は少なからずいたようです。

ただし、和田誠さんは自分の利益を優先して怒ったりする人では決してなく、物を言うのは必ず地位や名誉に執着する先輩方や編集者に対してだったとも語っていました。

wadamakoto _world Instagramより
sho_wada_triceratops/和田唱Instagramより

現在、ロックバンドTRICERATOPS(トライセラトップス)でギターとボーカルを担当する和田唱(わだしょう)さん。

和田誠さん、平野レミさんの息子さんであり長男です。

平野レミさんのお父様がハーフで、レミさんがクォーター、唱さんは1/8ということでワンエイス(one eighth)ですが、どことなく海外の血が入ってるだろうなと分かる、きれいな骨格とお顔立ちをされている方ですよね!

2年ほど前、その唱さんが大物ミュージシャンに苦言を呈したことが話題となったことがありました。

東北最大級の音楽フェス『ARABAKI ROCK FEST. 22』出演後、唱さん深夜のTwitter

「昨日は最高だった。最高だったよ」としつつ

と意味深投稿をします。

続けて

とド・ストレートに訴えたのです。

唱さんは名指しこそしなかったのですが、その後のtweetで「民生さんと直接やり取りができ、謝罪してくれた。俺も思ってることをハッキリ伝えた。一連のtweetは消すことにします」

として件のツイートを削除したうえで

と事の経緯について説明したのでした。

この”おもねり感”ゼロの意を決した物言いに、SNS上では肯定する声が殺到しました。

日ごろ静かで穏やかだった和田誠さんが、こと仕事においてコアな部分に宿した反骨精神は、長男であるミュージシャンとしての気骨溢れるスピリットに脈々と受け継がれているのだなぁと思わず感心してしまった一幕でした。

ーー2024年を迎えてなお、和田誠さんが去った寂しさは癒えることなく増すばかり、と多くの媒体で率直な思いを口にする和田レミさん。

それでも残された者の務めとして、いまも料理愛好家の道を歩み続けていらっしゃいます。

和田誠さんから引き上げてもらったレミさんならではのの資質を、これからも存分に発揮して、私たちに元気とパワーを与え続けてほしいですね!

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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