空気階段の水川かたまりさんといえば、名門慶應義塾大学(しかも法学部!)に進学したものの、新歓コンパで内部進学のいわゆる慶応ボーイから方言をからかわれ、わずか3か月で中退してしまったエピソードが有名ですよね。
そんな傷つきやすいナイーブなかたまりさんが、なぜお笑いの道に進もうと思い至ったのでしょうか?
気になったので調べてみました。
ご一緒に見てまいりましょう!
名門大学中退の理由
空気階段の水川かたまりさんはもともと芸人になるつもりはなく、大学受験ではじめて上京
高校を卒業するまで岡山で育った彼は、当たり前のように岡山弁しか喋ってこなかったそうです。
受験の結果、見事に慶應義塾大学に合格!
そんな前途洋々のかたまりさんでしたが、新歓コンパの席で岡山弁の特徴である語尾に”じゃが”をつけて喋っていると、エスカレーター進学してきた色の浅黒いゴルフをやっている金持ちのボンボンに「オマエは”じゃが”いも星人なのか?」と、方言を茶化されてしまいます。
その場で「”じゃが”いも星人じゃないです」としか返せなかったかたまりさん
「僕この先大学4年間、”じゃが”いも星人として生きていくのが辛すぎて。それで日吉の半地下で薄暗い、陽も入らないようなアパートに引きこもって…3か月で大学辞めました」
お笑い公用語に風穴を開けた同郷芸人
お笑い界は今も昔も東京と大阪を中心に回っていて、そこで使われる公用語の99%が標準語と関西弁です。
そんな業界で、上手く岡山弁を自分たちの芸に取り込み独自路線をひた走っているのが千鳥のお二人
ノブさんが相方の大悟さんに向かって「~じゃぁ」「~せいぃ」「~すなぁぁ」と、誇張した独特の言い回しでツッコミを入れることで、ひとつの掛け合いスタイルとして定着し、徐々に岡山弁は世間に浸透していきましたよね。
長く大阪を本拠地として活動してきた千鳥さんは、関西弁と標準語をMIXして、そこにアクセントとして語尾に、”クセが強い”けれど温かみのある方言を差し込むことで、視聴者に程よい余韻を残し、多くの人が聞き取りやすい芸風へと仕立て上げました。
「岡山」出身芸人と方言トリセツ
そして今、水川かたまりさんが岡山弁をイジられたことから飛び込んだお笑い界をふと見渡してみると、岡山出身の芸人さんがちらほら増えていることに気づかされます。
2022年の「M-1グランプリ」を制したのは、岡山出身の同級生コンビ、ウエストランドさんですし、彼らのコンビ名は、そもそも地元の商業施設の名称に由来しているといいます。
「キングオブコント」2018で優勝を果たし活躍を続ける人気トリオ芸人、ハナコのネタ作り担当で最近では執筆業にも臨まれている秋山寛貴さんも岡山県出身者。
また、キングオブコント常連組のかが屋、加賀翔さんの半自伝的小説『おおあんごう』(講談社)というタイトルは、彼の父親がよく使っていた岡山弁の口癖で『大ばか者』を指す言葉だとか。
他にも、「M-1グランプリ」ファイナリストの見取り図のリリーさん、東京ホテイソンのたけるさんなどは、いずれも岡山出身です。
ただ、ここに挙げた芸人の皆さんと千鳥さんに大きな違いを感じませんか?
そう!方言を押し出しそれを強調するようにしゃべくることで躍進を遂げた千鳥さん
一方、他の岡山出身芸人は、テレビ出演時などの人前ではほとんど岡山弁を使わない印象があります。
地理的にいうと岡山は関西に近いけれど、関西文化とは微妙に異なる雰囲気ですし、あまり方言を売りにネタが展開するというのはお見かけしませんね。
ある意味、関西圏とは異なる岡山ならではの方言トリセツが存在しているのかもしれません。
そしてこれは、水川かたまりさんにも当てはまるような気がします。
方言を「コンプレックス」に感じたからこそ
水川かたまりさんは、2023年10月、同郷の千鳥さんとの共演の中で、そもそも方言を『コンプレックス』に感じるようになった発端が前述の新歓コンパでの出来事だったと語っています。
もし千鳥さんが、自分が大学へ入った2009年の段階で今くらい全国的なスターになっていて、岡山弁が世間に浸透してたら、絶対”じゃが”いも星人扱いされなかった。人生変わってたなってすごい思うんですよね
このような見解も述べています。
ーーけれども、ここでよくよく考えてみると、かたまりさんが方言を揶揄されたのをコンプレックスと捉えなければ、そのまま大学を卒業して、ご本人が入学当時に思い描いていたサッカー関係の仕事に就くとか、高校の教師になってサッカー部の顧問になる夢をフツーに叶えていたかもしれません。
そうなると今のお笑いコンビ『空気階段』の結成はあり得ないですし、2021キングオブコントの王者も生まれなかったことになってしまいます。
”じゃが”芋星人扱いされて、それをかたまりさんがコンプレックスに感じたからこそ、その後の人生180度大転換につながったのではないでしょうか。
お笑いとブルーハーツに救われる
小さな頃から、テレビのバラエティ、人気ドラマ・・どれも禁止する家庭で育ったかたまりさん
せっかく入った名門大学を不登校で引き込もり、鬱屈とした日々の中でたまたま何とな~く見た番組で「面白いじゃん!」と一気にお笑いに開眼します。
「東京に来てなにをやってるんだろう?」という悲惨な状況なのにもかかわらず、その時を境に近くのGEOに毎日通い、お笑いDVDを借りてはひたすらそれを見て、ゲハゲハ笑う。
「なんかお笑い、いいな。お笑い、やってみたいな。でも、俺にお笑い、できるのか? 人前に立って人を笑わせる。そんなタイプの人間じゃなかった。でも、こんなに素晴らしい職業……今、すごく孤独を抱えている俺の心を満たしてくれる、笑わせてくれるお笑い。俺にもできるんじゃないか?」
そんな思いをふつふつと抱えながら青年水川かたまり2010年19の冬
雪の降る日、iPodで曲をシャッフルしながら一人きりで外を散歩
「ああ、雪、きれいだな。ひとりで見る東京の雪。こんな孤独だけど、雪はきれいだな」ふと呟きます
そこで流れてきた曲、その曲に押されて水川青年はお笑い芸人への道を踏み出すのでした。
ーーTHE BLUE HEARTS『未来は僕等の手の中』
こうして、お笑いとブルーハーツに救われ、空気階段・水川かたまりさんが誕生します。
思うに、もしもかたまりさんがのちに現れる岡山弁で歌う藤井風さんのようであったら、芸人水川かたまりが生まれることはなかったでしょう。
傷つきやすい自尊心が前のめりにしゃしゃり出ちゃうような青い時期、うら若きかたまりさんが方言をコンプレックスに感じてくれて、鬱々とした日々から巡り巡って芸人になってくれたのだから…ファンからすれば結果オーライといえるのではないでしょうか?!
最後まで読んでくださりありがとうございました。